骸はこれで判ったが、賊のありかはどこだ」
犬は又かれらを村民の住み家に案内したので、賊の一党はみな召捕られた。[#地から1字上げ](同上)
窓から手
少保《しょうほ》の馬亮公《ばりょうこう》がまだ若いときに、燈下で書を読んでいると、突然に扇のような大きい手が窓からぬっと出た。公は自若《じじゃく》として書を読みつづけていると、その手はいつか去った。
その次の夜にも、又もや同じような手が出たので、公は雌黄《しおう》の水を筆にひたして、その手に大きく自分の書き判を書くと、外では手を引っ込めることが出来なくなったらしく、俄かに大きい声で呼んだ。
「早く洗ってくれ、洗ってくれ、さもないと、おまえの為にならないぞ」
公はかまわずに寝床にのぼると、外では焦《じ》れて怒って、しきりに洗ってくれ、洗ってくれと叫んでいたが、公はやはりそのままに打ち捨てて置くと、暁け方になるにしたがって、外の声は次第に弱って来た。
「あなたは今に偉くなる人ですから、ちょっと試《ため》してみただけの事です。わたしをこんな目に逢わせるのは、あんまりひどい。晋《しん》の温※[#「山+喬」、第3水準1−47−89]《おんきょう》が牛渚《ぎゅうしょ》をうかがって禍いを招いたためしもあります。もういい加減にして免《ゆる》してください」
化け物のいうにも一応の理屈はあるとさとって、公は水をもって洗ってやると、その手はだんだんに縮んで消え失せた。
公は果たして後に少保の高官に立身したのであった。[#地から1字上げ](同上)
張鬼子
洪州の州学正《しゅうがくせい》を勤めている張《ちょう》という男は、元来|刻薄《こくはく》の生まれ付きである上に、年を取るに連れてそれがいよいよ激しくなって、生徒が休暇をくれろと願っても容易に許さない。学官が五日の休暇をあたえると、張はそれを三日に改め、三日の休暇をあたえると二日に改めるというふうで、万事が皆その流儀であるから、諸生徒から常に怨まれていた。
その土地に張鬼子《ちょうきし》という男があった。彼はその風貌が鬼によく似ているので、鬼子という渾名《あだな》を取ったのである。
そこで、諸生徒は彼を鬼に仕立てて、意地の悪い張学正をおどしてやろうと思い立って、その相談を持ち込むと、彼は慨然《がいぜん》として引き受けた。
「よろしい。承知しました。しかし無暗に鬼の真似をして見せたところで、先生は驚きますまい。冥府の役人からこういう差紙《さしがみ》を貰って来たのだぞといって、眼のさきへ突き付けたら、先生もおそらく真物《ほんもの》だと思って驚くでしょう。それを付け込んで、今後は生徒を可愛がってやれと言い聞かせます」
しかし冥府から渡される差紙などというものの書式《しょしき》を誰も知らなかった。
「いや、それはわたしが曾《かつ》て見たことがあります」
張は紙を貰って、それに白礬《はくはん》で何か細かい字を書いた。用意はすべて整って、日の暮れるのを待っていると、一方の張先生は例のごとく生徒をあつめて、夜学の勉強を監督していた。
州の学舎は日が暮れると必ず門を閉じるので、生徒は隙《すき》をみてそっと門をあけて、かの張鬼子を誘い込む約束になっていた。その門をまだ明けないうちに、張鬼子はどこかの隙間から入り込んで来て、教室の前にぬっ[#「ぬっ」に傍点]と突っ立ったので、人びとはすこしく驚いた。
「畜生、貴様はなんだ」と、張先生は怒って罵った。「きっと生徒らにたのまれて、おれをおどしに来たのだろう。その手を食うものか」
「いや、おどしでない」と、張鬼子は笑った。「おれは閻羅王《えんらおう》の差紙を持って来たのだ。嘘だと思うなら、これを見ろ」
かねて打ち合わせてある筋書の通りに、かれはかの差紙を突き出したので、先生はそれを受取って、まだしまいまで読み切らないうちに、かれはたちまちその被り物を取り除けると、そのひたいには大きい二本の角があらわれた。先生はおどろき叫んで仆《たお》れた。
張は庭に出て、人びとに言った。
「みなさんは冗談にわたしを張鬼子と呼んでいられたが、実は私はほんとうの鬼です。牛頭《ごづ》の獄卒です。先年、閻羅王の命を受けて、張先生を捕えに来たのですが、その途中で水を渡るときに、誤まって差紙を落してしまったので役目を果たすことも出来ず、むなしく帰ればどんな罰を蒙《こうむ》るかも知れないので、あしかけ二十年の間、ここにさまよっていたのですが、今度みなさん方のお蔭で仮《か》を弄《ろう》して真《しん》となし、無事に使命を勤め負《おう》せることが出来ました。ありがとうございます」
かれは丁寧に挨拶して、どこへか消えてしまったので、人びとはただ驚き呆れるばかりであった。張先生は仆れたままで再び生きなかった。[#地から1字上げ](同上)
両面銭
南方では神鬼をたっとぶ習慣がある。狄青《てきせい》が儂智高《のうちこう》を征伐する時、大兵が桂林の南に出ると、路ばたに大きい廟があって、すこぶる霊異ありと伝えられていた。
将軍の狄青は軍をとどめて、この廟に祈った。
「軍《いくさ》の勝負はあらかじめ判りません。就いてはここに百文の銭《ぜに》をとって神に誓います。もしこの軍が大勝利であるならば、銭の面《おもて》がみな出るように願います」
左右の者がさえぎって諫《いさ》めた。
「もし思い通りに銭の面が出ない時には、士気を沮《はば》める虞《おそ》れがあります」
狄青は肯《き》かないで神前に進んだ。万人が眼をあつめて眺めていると、やがて狄青は手に百銭をつかんで投げた。どの銭もみな紅い面が出たのを見るや、全軍はどっと歓び叫んで、その声はあたりの林野を震わした。狄青もまた大いに喜んだ。
彼は左右の者に命じて、百本の釘を取り来たらせ、一々その銭を地面に打付けさせた。そうして、青い紗《しゃ》の籠をもってそれを掩《おお》い、かれ自身で封印した。
「凱旋《がいせん》の節、神にお礼を申してこの銭を取ることにする」
それから兵を進めてまず崑崙関《こんろんかん》を破り、さらに智高《ちこう》を破り、※[#「巛/邑」、第3水準1−92−59]管《ゆうかん》を平らげ、凱旋の時にかの廟に参拝して、曩《さき》に投げた銭を取って見せると、その銭はみな両|面《おもて》であった。[#地から1字上げ](鉄囲山叢談)
古御所
洛陽《らくよう》の御所は隋唐五代の故宮《こきゅう》である。その後にもここに都するの議がおこって、宋の太祖の開宝《かいほう》末年に一度行幸の事があったが、何分にも古御所《ふるごしょ》に怪異が多く、又その上に霖雨《ながあめ》に逢い、旱《ひでり》を祷《いの》ってむなしく帰った。
それから宣和《せんな》年間に至るまで年を重ぬること百五十、故宮はいよいよ荒れに荒れて、金鑾殿《きんらんでん》のうしろから奥へは白昼も立ち入る者がないようになった。立ち入ればとかくに怪異を見るのである。大きな熊蜂や蟒蛇《うわばみ》も棲んでいる。さらに怪しいのは、夜も昼も音楽の声、歌う声、哭《な》く声などの絶えないことである。
宣和の末に、呉本《ごほん》という監官があった。彼は武人の勇気にまかせて、何事をも畏《おそ》れ憚《はばか》らず、夏の日に宮前の廊下に涼んでいて、申《さる》の刻(午後三時―五時)を過ぐるに至った。まだ暗くはならないが、場所が場所であるので、従者は恐れて早く帰ろうと催促したが、呉は平気で動かなかった。
たちまち警蹕《けいひつ》の声が内からきこえて、衛従の者が紅い絹をかけた金籠の燭を執ること数十|対《つい》、そのなかに黄いろい衣服を着けて、帝王の如くに見ゆる男一人、その胸のあたりにはなまなましい血を流していた。そのほかにも随従の者大勢、列を正しく廊下づたいに奥殿へ徐々《しずしず》と練って行った。
呉と従者は急いで戸の内に避けたが、最後の衛士は呉がここに涼んでいて行列の妨げをなしたのを怒ったらしく、その臥榻《がとう》の足をとって倒すと、榻は石※[#「土+專」、第3水準1−15−59]《いしがわら》をうがって地中にめり込んだ。衛士らはそれから他の宮殿へむかったかと思うと、その姿は消えた。
呉もこれを見て大いにおどろいた。その以来、彼は決してこの古御所に寝泊まりなどをしなかった。彼は自分の目撃したところを絵にかいて、大勢の人に示すと、洛陽の識者は評して「これは必ず唐の昭宗《しょうそう》であろう」と言った。
唐の昭宗皇帝は英主であったが、晩唐の国勢振わず、この洛陽で叛臣|朱全忠《しゅぜんちゅう》のために弑《しい》せられたのである。[#地から1字上げ](同上)
我来也
京城の繁華の地区には窃盗が極めて多く、その出没すこぶる巧妙で、なかなか根絶することは出来ないのである。
趙尚書《ちょうしょうしょ》が臨安《りんあん》の尹《いん》であった時、奇怪の賊があらわれた。彼は人家に入って賊を働き、必ず白粉をもってその門や壁に「我来也《がらいや》」の三字を題して去るのであった。その逮捕甚だ厳重であったが、久しいあいだ捕獲することが出来ない。
我来也の名は都鄙《とひ》に喧伝《けんでん》して、賊を捉えるとはいわず、我来也を捉えるというようになった。
ある日、逮捕の役人が一人の賊を牽《ひ》いて来て、これがすなわち我来也であると申し立てた。すぐに獄屋へ送って鞠問《きくもん》したが、彼は我来也でないと言い張るのである。なにぶんにも証拠とすべき贓品《ぞうひん》がないので、容易に判決をくだすことが出来なかった。そのあいだに、彼は獄卒にささやいた。
「わたしは盗賊には相違ないが、決して我来也ではありません。しかし斯《こ》うなったら逃がれる道はないと覚悟していますから、まあ劬《いたわ》っておくんなさい。そこで、わたしは白金そくばくを宝叔塔《ほうしゅくとう》の何階目に隠してありますから、お前さん、取ってお出でなさい」
しかし塔の上には昇り降りの人が多い。そこに金を隠してあるなどは疑わしい。こいつ、おれを担《かつ》ぐのではないかと思っていると、彼はまた言った。
「疑わずに行ってごらんなさい。こちらに何かの仏事があるとかいって、お燈籠に灯を入れて、ひと晩廻り廻っているうちに、うまく取り出して来ればいいのです」
獄卒はその通りにやってみると、果たして金を見いだしたので、大喜びで帰って来て、あくる朝はひそかに酒と肉とを獄内へ差し入れてやった。それから数日の後、彼はまた言った。
「わたしはいろいろの道具を瓶《かめ》に入れて、侍郎橋《じろうきょう》の水のなかに隠してあります」
「だが、あすこは人足《ひとあし》の絶えないところだ。どうも取り出すに困る」と、獄卒は言った。
「それはこうするのです。お前さんの家《うち》の人が竹籃《たけかご》に着物をたくさん詰め込んで行って、橋の下で洗濯をするのです。そうして往来のすきをみて、その瓶を籃に入れて、上から洗濯物をかぶせて帰るのです」
獄卒は又その通りにすると、果たして種々の高価の品を見つけ出した。彼はいよいよ喜んで獄内へ酒を贈った。すると、ある夜の二更《にこう》(午後九時―十一時)に達する頃、賊は又もや獄卒にささやいた。
「わたしは表へちょっと出たいのですが……。四更(午前一時―三時)までには必ず帰ります」
「いけない」と、獄卒もさすがに拒絶した。
「いえ、決してお前さんに迷惑はかけません。万一わたしが帰って来なければ、お前さんは囚人《めしゅうど》を取り逃がしたというので流罪《るざい》になるかも知れませんが、これまで私のあげた物で不自由なしに暮らして行かれる筈です。もし私の頼みを肯《き》いてくれなければ、その以上に後悔することが出来るかも知れませんよ」
このあいだからの一件を、こいつの口からべらべら喋《しゃ》べられては大変である。獄卒も今さら途方にくれて、よんどころなく彼を出してやったが、どうなることかと案じていると、やがて檐《のき》の瓦を踏む音がして、彼は家根《やね》から飛び下りて来たので、獄卒は先
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