それから兵を進めてまず崑崙関《こんろんかん》を破り、さらに智高《ちこう》を破り、※[#「巛/邑」、第3水準1−92−59]管《ゆうかん》を平らげ、凱旋の時にかの廟に参拝して、曩《さき》に投げた銭を取って見せると、その銭はみな両|面《おもて》であった。[#地から1字上げ](鉄囲山叢談)

   古御所

 洛陽《らくよう》の御所は隋唐五代の故宮《こきゅう》である。その後にもここに都するの議がおこって、宋の太祖の開宝《かいほう》末年に一度行幸の事があったが、何分にも古御所《ふるごしょ》に怪異が多く、又その上に霖雨《ながあめ》に逢い、旱《ひでり》を祷《いの》ってむなしく帰った。
 それから宣和《せんな》年間に至るまで年を重ぬること百五十、故宮はいよいよ荒れに荒れて、金鑾殿《きんらんでん》のうしろから奥へは白昼も立ち入る者がないようになった。立ち入ればとかくに怪異を見るのである。大きな熊蜂や蟒蛇《うわばみ》も棲んでいる。さらに怪しいのは、夜も昼も音楽の声、歌う声、哭《な》く声などの絶えないことである。
 宣和の末に、呉本《ごほん》という監官があった。彼は武人の勇気にまかせて、何事をも畏《お
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