く鎮定したので、兵を避けて江南に渡っていた人びともだんだんに故郷へ立ち戻ることになった。そのなかで山陽《さんよう》地方の士人《しじん》ふたりも帰郷の途中、淮揚《わいよう》を通過して北門外に宿ろうとすると、宿の主人が丁寧に答えた。
「わたくしもこの宿舎を持っているのですから、お客人を長くお泊め申して置きたいのはやまやまですが、あなた方に対しては正直に申し上げなければなりません。何分にも軍《いくさ》のあとで、ここらも荒れ切っているので、家《うち》はきたなくなっているばかりか、盗賊どもがしきりに徘徊するので困ります。ここから十里ばかり先に呂《りょ》という家がありまして、そこは閑静で綺麗な上に、賊をふせぐ用心も出来ていますから、そこへ行ってお泊まりなさるがよろしゅうございます。わたくしの家から僕《しもべ》や馬を添えてお送り申させますから」
 ふたりは素直にその忠告を肯《き》いた。殊に呂氏の家というのもかねて知っているので、それではすぐに行こうと出かけると、主人は慇懃《いんぎん》に別れを告げた。
「どうぞお帰りにもお立ち寄りください。もう日が暮れましたから、馬にお召しなさい」
 主人は達者そうな
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