それを町の店なかに懸けて置くこと数年、だんだん老境に入るにしたがって、毎日唯ぼんやりと坐ったままで、画《えが》ける虎をじっと見つめていた。
 彼は一日でも画ける虎を見なければ楽しまないのであった。忰や孫たちが城中へ豆や麦を売りに行って、その帰りに塩や醤油を買って来る。それについて何か気に入らない事があると、すぐに怒って罵って、時には杖をもって打ち叩くこともある。そんな時でも画ける虎を見れば、たちまちに機嫌が直って、なにもかも忘れてしまうのである。
 療治に招かれて病家へ行っても、そこに画虎《がこ》の軸でもあれば、いい心持になって熱心に療治するのであった。したがって、親戚などの附き合いからも、画虎の軸や屏風を贈って来るのを例とするようになった。こうして、幾年を経《ふ》るあいだに、自宅の座敷も台所も寝間も一面に画虎を懸けることになって、近所の人たちもおどろき怪しみ、あの老人は虎に魅《みこ》まれたのだろうなどと言った。あまりの事に、その老兄も彼を責めた。
「お前はこんなものを好んでどうするのだ」
「いつもむしゃくしゃしてなりません。これを見ると、胸が少し落ちつくのです」
「それならば城内の薬屋に活きた虎が飼ってあるのを知っているのか」
「まだ知りません。どうぞ連れて行って一度見せてください」
 兄に頼んで一緒に連れて行ってもらったが、一度見たが最後、ほとんど寝食を忘れて十日《とおか》あまりも眺め暮らしていた。その以来、毎月二、三回は城内に入って、活きた虎を眺めているうちに、食い物も肉ばかりを好むようになった。肉も煮焼きをしたものは気に入らず、もっぱら生《なま》の肉を啖《くら》って、一食ごとに猪の頭や猪の股を梨や棗《なつめ》のように平らげるので、子や孫らはみな彼をおそれた。城内に入って活き虎を見て帰ると、彼はいよいよ気があらくなって、子や孫らの顔を見ると、杖をもって叩き立てた。
 五代の蜀《しょく》が国号を建てた翌年、彼は或る夜ひそかに村舎の門をぬけ出して、行くえ不明になった。そのうちに、往来の人がこんなことを伝えた。
「ゆうべ一頭の虎が城内に跳り込んだので、半日のあいだ城門を開かなかった。軍人らが城内に駈け付けて虎を射殺し、その肉を分配して食ってしまった」
 彼はいつまでも帰らず、又そのたよりも聞えなかった。彼は虎に化けたのである。遺族は虎の肉を食った人びとをたずねて、幾
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