字上げ](同上)
両面銭
南方では神鬼をたっとぶ習慣がある。狄青《てきせい》が儂智高《のうちこう》を征伐する時、大兵が桂林の南に出ると、路ばたに大きい廟があって、すこぶる霊異ありと伝えられていた。
将軍の狄青は軍をとどめて、この廟に祈った。
「軍《いくさ》の勝負はあらかじめ判りません。就いてはここに百文の銭《ぜに》をとって神に誓います。もしこの軍が大勝利であるならば、銭の面《おもて》がみな出るように願います」
左右の者がさえぎって諫《いさ》めた。
「もし思い通りに銭の面が出ない時には、士気を沮《はば》める虞《おそ》れがあります」
狄青は肯《き》かないで神前に進んだ。万人が眼をあつめて眺めていると、やがて狄青は手に百銭をつかんで投げた。どの銭もみな紅い面が出たのを見るや、全軍はどっと歓び叫んで、その声はあたりの林野を震わした。狄青もまた大いに喜んだ。
彼は左右の者に命じて、百本の釘を取り来たらせ、一々その銭を地面に打付けさせた。そうして、青い紗《しゃ》の籠をもってそれを掩《おお》い、かれ自身で封印した。
「凱旋《がいせん》の節、神にお礼を申してこの銭を取ることにする」
それから兵を進めてまず崑崙関《こんろんかん》を破り、さらに智高《ちこう》を破り、※[#「巛/邑」、第3水準1−92−59]管《ゆうかん》を平らげ、凱旋の時にかの廟に参拝して、曩《さき》に投げた銭を取って見せると、その銭はみな両|面《おもて》であった。[#地から1字上げ](鉄囲山叢談)
古御所
洛陽《らくよう》の御所は隋唐五代の故宮《こきゅう》である。その後にもここに都するの議がおこって、宋の太祖の開宝《かいほう》末年に一度行幸の事があったが、何分にも古御所《ふるごしょ》に怪異が多く、又その上に霖雨《ながあめ》に逢い、旱《ひでり》を祷《いの》ってむなしく帰った。
それから宣和《せんな》年間に至るまで年を重ぬること百五十、故宮はいよいよ荒れに荒れて、金鑾殿《きんらんでん》のうしろから奥へは白昼も立ち入る者がないようになった。立ち入ればとかくに怪異を見るのである。大きな熊蜂や蟒蛇《うわばみ》も棲んでいる。さらに怪しいのは、夜も昼も音楽の声、歌う声、哭《な》く声などの絶えないことである。
宣和の末に、呉本《ごほん》という監官があった。彼は武人の勇気にまかせて、何事をも畏《お
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