《かいげんじ》には寓居の客が多かった。ある夏の日に、その客の五、六人が寺の門前に出ていると、ひとりの女が水を汲みに来た。
客の一人は幻術をよくするので、たわむれに彼女を悩まそうとして、なにかの術をおこなうと、女の提げている水桶が動かなくなった。
「みなさん、御冗談をなすってはいけません」と、女は見かえった。
客は黙っていて術を解かなかった。暫くして女は言った。
「それでは術くらべだ」
彼女は荷《にな》いの棒を投げ出すと、それがたちまちに小さい蛇となった。客はふところから粉《こな》の固まりのような物を取り出して、地面に二十あまりの輪を描いて、自分はそのまん中に立った。蛇は進んで来たが、その輪にささえられて入ることが出来ない。それを見て、女は水をふくんで吹きかけると、蛇は以前よりも大きくなった。
「旦那、もう冗談はおやめなさい」と、彼女はまた言った。
客は自若《じじゃく》として答えなかった。蛇はたちまち突入して、第十五の輪まで進んで来た。女は再び水をふくんで吹きかけると、蛇は椽《たるき》のような大蛇となって、まん中の輪にはいった。ここで女は再びやめろと言ったが、客は肯《き》かなかった。蛇はとうとう客の足から身体にまき付いて、頭の上にまで登って行った。
往来の人も大勢立ちどまって見物する。寺の者もおどろいた。ある者は役所へ訴え出ようとすると女は笑った。
「心配することはありません」
その蛇を掴んで地に投げつけると、忽ち元の棒となった。彼女はまた笑った。
「おまえの術はまだ未熟だのに、なぜそんな事をするのだ。わたしだからいいが、他人に逢えばきっと殺される」
客は後悔してあやまった。彼は女の家へ付いて行って、その弟子になったという。
渡頭の妖
邵武《しょうぶ》の渓河《たにがわ》の北に怪しい男が棲んでいて、夜になると河ばたに出て来た。そうして徒渉《かちわた》りの者をみると、必ずそれを背負って南へ渡した。ある人がその子細を訊くと、彼は答えた。
「これは私の発願《ほつがん》で、別に子細はありません」
ここに黄敦立《こうとんりゅう》という胆勇の男があって、彼は何かの害をなす者であろうと疑った。そこで、試みに毎晩出てゆくと、かの男はいつものように彼を背負って渡った。三日の後、黄は彼に言った。
「人間の礼儀はお互いという。わたしはいつもお前に渡してもらうから、今夜は私がおまえを渡してあげよう」
男は辞退したが、黄は肯《き》かなかった。
無理に彼をいだいて河を渡ると、むこう岸には大きい石があった。黄はあらかじめ家僕《しもべ》に言い付けて、その石の上に草をたばねて置いたのである。黄は抱いている男を大石に叩きつけると、男は悲鳴をあげて助けを求めた。灯《ひ》に照らして見ると、彼は青面《せいめん》の大きい※[#「けものへん+矍」、206−13]猿《かくえん》に変じていた。打ち殺してそれを火に燔《や》くと、その臭気が数里にきこえた。
その後、ここに怪しいことはなかった。
底本:「中国怪奇小説集」光文社文庫、光文社
1994(平成6)年4月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:kazuishi
2003年7月31日作成
青空文庫作成ファイル:
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