ると共に、その毒を消す法をも知っていたらしいが、その法は伝わっていない。
重要書類紛失
宋の紹興の初年、甫田《ほでん》の林迪功《りんちゅうこう》という人は江西の尉《じょう》を勤めていたが、盗賊を捉えた功によって、満期の後は更に都の官吏にのぼせられることになっていた。
そのころ臨安府には火災が多かったので、官舎に寄寓《きぐう》している人びとは、外出するごとに勅諭《ちょくゆ》その他の重要書類を携帯してゆくのを例としていた。林《りん》も御用大事と心得ている人物であるので、外出する時には必ず重要書類を懐中して出て、途中でも二、三度ぐらいは検《あらた》めることにしていた。
それで最初は無事であったが、ある時それが紛失したので、彼は三万銭の賞を賭けてその捜査を命じると、たちまちにそれを届けて来るものがあった。それで安心すると、又もや紛失した。又もや賞をかけると、又もや直ぐに届けて来た。こういうことが三度も四度も繰り返されたので、本人も怪しみ、他の者も不審をいだくようになった。これが果てしもなしに続くときは、彼の私財が尽きてしまうか、あるいは重要書類をうしなった罪に服するか、二つに一つは免《まぬ》かれないであろうと危ぶまれた。
林は独身者であるが、近来その部屋のなかで頻《しき》りに人声を聞くことがあった。殊に或る夜は何か声高《こわだか》に論じ合っているようであったが、暫くしてひっそりと鎮まった。あくる朝になっても戸もあけないので、出入りの婆さんが不思議に思って、近所の人びとを呼びあつめ、壁をぶちこわしてはいってみると、林は腰掛けの上にたおれていた。かれは剪刀《はさみ》で喉を突いて自殺したのである。
さてその死因はわからなかった。伝うるところに拠れば、彼がさきに盗賊二人を捕えた時、いずれもその証拠不十分であるにも拘《かかわ》らず、彼は自己の功をなすに急なる余りに、鍛錬|羅織《らしき》して無理にかれらを罪人におとしいれた。その恨みが重要書類の紛失となり、さらに彼の死となったのであろうというのである。但しそれが死んだ人の仕業《しわざ》か、生きている人の仕業か、本人に聞いてみなければ判らないのである。
股を焼く
宋の宣和《せんな》年中に、明州|昌国《しょうこく》の人が海あきないに出た。海上何百里、名の知れない大きい島に舟を寄せて、そのうちの数人が薪《たきぎ
前へ
次へ
全18ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング