が見えなくなりました。なにかの怪物に相違ないというので、蛇はそのまま捨てて帰ったそうです。この蛇は生きているあいだに自分の形を隠すことが出来ず、死んでから人の形を隠すというのは、その理屈が判らないと著者も言っています。
小奴
天祐丙子《てんゆうひのえね》の年、浙西《せっせい》の軍士|周交《しゅうこう》が乱をおこして、大将の秦進忠《しんしんちゅう》をはじめ、張胤《ちょういん》ら十数人を殺しました。
秦進忠は若い時、なにかの事で立腹して、小さい奴《しもべ》を殺しました。刃《やいば》をその心《むね》に突き透したのでした。その死骸は埋めてしまって年を経たのですが、末年になってかの小奴《しょうど》がむねを抱えて立っている姿を見るようになりました。初めは百歩を隔てていましたが、後にはだんだんに近寄って来ました。
乱のおこる日も、いま家を出ようとする時、馬の前に小奴が立っているのを、左右の人びともみな見ました。役所へ出ると右の騒動で、彼は乱兵のために胸を刺されて死にました。
同時に殺された張胤は、ひと月ほど前から自分の姓名を呼ぶ者があります。勿論その姿は見えませんが、声は透き通ったような強いひびきで、これも初めは遠く、後にはだんだんに近く、当日はわが面前にあるようにきこえましたが、役所へ出ると直ぐに討たれました。
楽人
建康《けんこう》に二人の楽人《がくじん》がありまして、日が暮れてから町へ出ますと、二人の僕《しもべ》らしい男に逢いました。
「陸判官《りくはんがん》がお招きです」
招かれるままに付いてゆくと、大きい邸宅へ連れ込まれました。座敷の装飾や料理の献立《こんだて》なども大そう整っていまして、来客は十人あまり、みな善く酒を飲みました。楽人らは一生懸命に楽を奏していると、もう酒には飽きたから食うことにすると言い出しました。しかも自分たちが飲んだり食ったりするばかりで、楽人らにはなんにも宛《あて》がわないのです。
夜がしらじらと明ける頃に、この宴会は果てましたが、楽人らはもう疲れ切って、門外の床の上にころがって正体なしに眠りました。眼が醒めると、二人は草のなかに寝ているのでした。そばには大きい塚がありました。
土地の人に訊《き》くと、これは昔から陸判官の塚と言い伝えられているが、いつの時代の人だかわからないということでした。
餅二枚
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