中国怪奇小説集
宣室志(唐)
岡本綺堂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)唐《とう》の

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)張|文成《ぶんせい》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「赤+おおざと」、第3水準1−92−70]居士《かくこじ》
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 第四の男は語る。
「わたくしは『宣室志』のお話をいたします。この作者は唐《とう》の張読《ちょうどく》であります。張は字《あざな》を聖朋《せいほう》といい、年十九にして進士《しんし》に登第《とうだい》したという俊才で、官は尚書左丞《しょうしょさじょう》にまで登りました。祖父の張薦《ちょうせん》も有名の人物で、張薦はかの『遊仙窟《ゆうせんくつ》』や『朝野僉載《ちょうやせんさい》』を書いた張|文成《ぶんせい》の孫にあたるように聞いて居ります。
 この書も早く渡来しましたので、わが国の小説や伝説に少なからざる影響をあたえているようでございます」

   七聖画

 唐の長安《ちょうあん》の雲花寺《うんげじ》に聖画殿があって、世にそれを七聖画と呼んでいる。
 この殿堂が初めて落成したときに、寺の僧が画工をまねいて、それに彩色画《さいしきが》を描かせようとしたが、画料が高いので相談がまとまらなかった。それから五、六日の後、ふたりの少年がたずねて来た。
「われわれは画を善く描く者です。このお寺で画工を求めているということを聞いて参りました。画料は頂戴するに及びませんから、われわれに描かせて下さいませんか」
「それではお前さん達の描いた物を見せてください」と、僧は言った。
「われわれの兄弟は七人ありますが、まだ長安では一度も描いたことがありませんから、どこの画を見てくれというわけには行きません」
 そうなると、やや不安心にもなるので、僧は少しく躊躇《ちゅうちょ》していると、少年はまた言った。
「しかし、われわれは画料を一文も頂戴しないのですから、もしお気に入らなかったならば、壁を塗り換えるだけのことで、さしたる御損もありますまい」
 なにしろ無料《ただ》というのに心を惹《ひ》かされて、僧は結局かれらに描かせることにすると、それから一日の後、兄弟と称する七人の少年が画の道具をたずさえて来た。
「これから七日のあいだ、決してこの殿堂の戸をあけて下さるな。食い物などの御心配に及びません。画《え》の具の乾かないうちに風や日にさらすことは禁物ですから、誰も覗《のぞ》きに来てはいけません」
 こう言って、かれらは殿堂のなかに閉じ籠ったが、それから六日のあいだ、堂内はひっそりしてなんの物音もきこえないので、寺の僧等も不審をいだいた。
「あの七人はほんとうに画を描いているのかしら」
「なんだかおかしいな。なにかの化け物がおれ達をだまして、とうに消えてしまったのではないかな」
 評議まちまちの結果、ついにその殿堂の戸をあけて見ることになった。幾人の僧が忍び寄って、そっと戸をあけると、果たして堂内に人の影はみえなかった。七羽の鴿《はと》が窓から飛び去って、空中へ高く舞いあがった。
 さてこそと堂内へはいって調べると、壁画は色彩うるわしく描かれてあったが、約束の期日よりも一日早かったために、西北の窓ぎわだけがまだ描き上げられずに残っていた。その後に幾人の画工がそれを見せられて、みな驚嘆した。
「これは実に霊妙の筆である」
 誰も進んで描き足そうという者がないので、堂の西北の隅だけは、いつまでも白いままで残されている。

   法喜寺の龍

 政陽《せいよう》郡の東南に法喜寺《ほうきじ》という寺があって、まさに渭水《いすい》の西に当っていた。唐の元和《げんな》の末年に、その寺の僧がしばしば同じ夢をみた。一つの白い龍《りゅう》が渭水から出て来て、仏殿の軒にとどまって、それから更に東をさして行くのである。不思議な事には、その夢をみた翌日にはかならず雨が降るので、僧も怪しんでそれを諸人に語ると、清浄の仏寺に龍が宿るというのは、さもありそうなことである。そのしるしとして、仏殿の軒に土細工の龍を置いたらどうだという者があった。
 僧も同意して、職人に命じて土の龍を作らせることになった。惜しむらくはその職人の名が伝わっていないが、彼は決して凡手ではなかったと見えて、その細工は甚だ巧妙に出来あがって、寺の西の軒に高く置かれたのを遠方から瞰《み》あげると、さながらまことの龍のわだかまっているようにも眺められた。
 長慶《ちょうけい》の初年に、その寺中に住む人で毎夜門外の宿舎に眠るものがあった。彼はある夜、寺の西の軒から一つの物が雲に乗るように飄々《ひょうひょう》と飛び去って、渭水の方角へむかったかと思うと、その夜半に再び帰って来たのを見たので、翌日それを寺僧に語ると、僧もすこぶる不思議に思っていた。
 それからまた五、六日の後、村民の斎《とき》に呼ばれて、寺中の僧は朝からみな出てゆくと、その留守の間にかの土龍の姿が見えなくなったので、人びとはまた驚かされた。
「たとい土で作った物でも、龍の形をなす以上、それが霊ある物に変じたのであろう」
 こう言っていると、その晩に渭水の上から黒雲が湧き起って、次第にこの寺をつつむように迫って来たかと見るうちに、その雲のあいだから一つの物が躍り出て、西の軒端へ流れるように入り込んだので、寺の僧らはまた驚き怖れた。やがて雲も収まり、空も明るくなったので、かの軒の下にあつまって瞰あげると、土龍は元の通りに帰っていたが、その鱗《うろこ》も角《つの》もみな一面に湿《ぬ》れているのを発見した。
 その以来、龍の再び抜け出さないように、鉄の鎖《くさり》をもって繋いで置くことにした。旱魃《かんばつ》のときに雨を祈れば、かならず奇特《きどく》があると伝えられている。

   阿弥陀仏

 宣城《せんじょう》郡、当塗《とうと》の民に劉成《りゅうせい》、李暉《りき》の二人があった。かれらは大きい船に魚や蟹《かに》のたぐいを積んで、呉《ご》や越《えつ》の地方へ売りに出ていた。
 唐の天宝《てんぽう》十三年、春三月、かれらは新安《しんあん》から江を渡って丹陽《たんよう》郡にむかい、下査浦《かさほ》というところに着いた。故郷の宣城を去る四十里(六丁一里)の浦である。日もすでに暮れたので、二人は船を岸につないで上陸した。
 そこで、李は岸の人家へたずねて行き、劉は岸のほとりにとどまっていると、夜は静かで水の音もひびかない。その時、たちまち船のなかで怪しい声がきこえた。
「阿弥陀仏、阿弥陀仏」
 おどろいて透かして視ると、一尾の大きい魚が船のなかから鬚《ひげ》をふり、首をうごかして、あたかも人の声をなして阿弥陀仏を叫ぶのであった。劉はぞっ[#「ぞっ」に傍点]として、蘆《あし》のあいだに身をひそめ、なおも様子をうかがっていると、やがて船いっぱいの魚が一度に跳ねまわって、みな口々に阿弥陀仏を唱え始めたので、劉はもう堪《た》まらなくなって、あわてて船へ飛び込んで、船底にあるだけの魚を手あたり次第に水のなかへ投げ込んだ。
 全部の魚を放してしまったところへ、李が戻って来た。彼は劉の話をきいて大いに怒った。
「ばかばかしい。おれたちは今夜初めてこの商売をするのじゃあねえ。魚なんぞが化けて堪まるものか」
 劉がいかに説明して聞かせても、李は決して信じなかった。商売物の魚をみんな捨ててしまってどうするのだと、彼は激しく劉に食ってかかるので、劉もその言い訳に困って、とうとう李の損失だけを自分がつぐなうことにした。そうなると、剰《あま》すところは僅かに百銭に過ぎないので、劉はその村で荻《おぎ》十余束を買い込み、あしたの朝になったらば船に積むつもりで、その晩は岸のほとりに横たえて置いた。
 さて翌朝になって、いよいよそれを積み込もうとすると、荻の束《たば》がひどく重い。怪しんでその束を解いてみると、緡《さし》になっている銭《ぜに》一万五千を発見した。それには「汝に魚の銭を帰《き》す」と書いてあった。劉はますます奇異の感を深うして、瓜洲《かしゅう》に僧侶をあつめて読経をしてもらった上に、かの銭はみな施して帰った。

   柳将軍の怪

 東洛《とうらく》に古屋敷があって、その建物はすこぶる宏壮であるが、そこに居る者は多く暴死《ぼうし》するので、久しく鎖《とざ》されたままで住む者もなかった。
 唐の貞元《ていげん》年中に盧虔《ろけん》という人が御史《ぎょし》に任ぜられて、宿所を求めた末にかの古屋敷を見つけた。そこには怪異があるといって注意した者もあったが、盧は肯《き》かなかった。
「妖怪があらわれたらば、おれが鎮めてやる」
 平気でそこに移り住んで、奴僕《しもべ》どもはみな門外に眠らせ、自分は一人の下役人と共に座敷のまん中に陣取っていた。下役人は勇悍《ゆうかん》にして弓を善《よ》くする者であった。
 やがて夜が更けて来たので、下役人は弓矢をたずさえて軒下に出ていると、やがて門を叩く者があった。下役人は何者だとたずねると、外では答えた。
「柳《りゅう》将軍から盧君に書面をお届け申す」
 言うかと思うと、一幅《いっぷく》の書がどこからとも知れずに軒下へ舞い落ちた。それは筆をもって書いたもので、字画《じかく》も整然と読まれた。その文書の大意は――我はここに年《とし》久しく住んでいて、家屋|門戸《もんこ》みな我が物である。そこへ君が突然に入り込んで済むと思うか。もし君の住宅へ我々が突然に踏み込んだら、君もおそらく捨てては置くまい。左様な不法を働いて、君はたとい我を懼《おそ》れずと誇るとも、省《かえり》みて君のこころに恥じないであろうか。君はみずから悔い改めて早々に立ち去るべきである。小勇を恃《たの》んで大敗の辱《はじ》を蒙《こうむ》るなかれ。――
 このいかめしい抗議文をうけ取って、盧はまだ何とも答えないうちに、その紙は灰のごとくにひらひらと散ってしまった。つづいて又、物々しく呼ぶ声がきこえた。
「柳将軍、御意《ぎょい》を得《え》申す」
 忽然《こつぜん》として現われ出でたのは、身のたけ数十|尋《ひろ》(一尋は六尺)もあろうかと思われる怪物で、手に一つの瓢《ふくべ》をたずさえて庭先に突っ立った。下役人は弓を張って射かけると、矢は彼の手にある瓢にあたったので、怪物はいったん退いてその瓢を捨てたが、更にまた進んで来て、首《こうべ》を俯《ふ》してこちらの様子を窺っているらしいので、下役人は更に二の矢を射かけると、今度はその胸に命中したので、さすがの怪物も驚いたらしく、遂にうしろを見せておめおめと立ち去った。
 夜が明けてから彼の来たらしい方角をたずねると、東の空き地に高さ百余尺の柳の大樹《たいじゅ》があって、ひと筋の矢がその幹に立っていたので、いわゆる柳将軍の正体はこれであることが判った。それから一年あまりの後に家屋の手入れをすると、家根《やね》瓦の下から長さ一丈ほどの瓢を発見した。その瓢にもひと筋の矢が透っていた。

   黄衣婦人

 唐の柳宗元《りゅうそうげん》先生が永州《えいしゅう》の司馬《しば》に左遷される途中、荊門《けいもん》を通過して駅舎に宿ると、その夜の夢に黄衣の一婦人があらわれた。彼女は再拝して泣いて訴えた。
「わたくしは楚水《そすい》の者でございますが、思わぬ禍いに逢いまして、命も朝夕《ちょうせき》に迫って居ります。あなたでなければお救い下さることは叶いません。もしお救い下されば、長く御恩を感謝するばかりでなく、あなたの御運をひるがえして、大臣にでも大将にでも御出世の出来るように致します」
 先生も無論に承知したが、夢が醒めてから、さてその心あたりがないので、ついそのままにしてまた眠ると、かの婦人は再びその枕元にあらわれて、おなじことを繰り返して頼んで去った。
 夜が明けかかると、土地の役人が来て、荊州の帥《そつ》があなたを御招待して朝飯をさしあげたいと言った。先生はそれにも承
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