左様な不法を働いて、君はたとい我を懼《おそ》れずと誇るとも、省《かえり》みて君のこころに恥じないであろうか。君はみずから悔い改めて早々に立ち去るべきである。小勇を恃《たの》んで大敗の辱《はじ》を蒙《こうむ》るなかれ。――
 このいかめしい抗議文をうけ取って、盧はまだ何とも答えないうちに、その紙は灰のごとくにひらひらと散ってしまった。つづいて又、物々しく呼ぶ声がきこえた。
「柳将軍、御意《ぎょい》を得《え》申す」
 忽然《こつぜん》として現われ出でたのは、身のたけ数十|尋《ひろ》(一尋は六尺)もあろうかと思われる怪物で、手に一つの瓢《ふくべ》をたずさえて庭先に突っ立った。下役人は弓を張って射かけると、矢は彼の手にある瓢にあたったので、怪物はいったん退いてその瓢を捨てたが、更にまた進んで来て、首《こうべ》を俯《ふ》してこちらの様子を窺っているらしいので、下役人は更に二の矢を射かけると、今度はその胸に命中したので、さすがの怪物も驚いたらしく、遂にうしろを見せておめおめと立ち去った。
 夜が明けてから彼の来たらしい方角をたずねると、東の空き地に高さ百余尺の柳の大樹《たいじゅ》があって、ひと筋の矢がその幹に立っていたので、いわゆる柳将軍の正体はこれであることが判った。それから一年あまりの後に家屋の手入れをすると、家根《やね》瓦の下から長さ一丈ほどの瓢を発見した。その瓢にもひと筋の矢が透っていた。

   黄衣婦人

 唐の柳宗元《りゅうそうげん》先生が永州《えいしゅう》の司馬《しば》に左遷される途中、荊門《けいもん》を通過して駅舎に宿ると、その夜の夢に黄衣の一婦人があらわれた。彼女は再拝して泣いて訴えた。
「わたくしは楚水《そすい》の者でございますが、思わぬ禍いに逢いまして、命も朝夕《ちょうせき》に迫って居ります。あなたでなければお救い下さることは叶いません。もしお救い下されば、長く御恩を感謝するばかりでなく、あなたの御運をひるがえして、大臣にでも大将にでも御出世の出来るように致します」
 先生も無論に承知したが、夢が醒めてから、さてその心あたりがないので、ついそのままにしてまた眠ると、かの婦人は再びその枕元にあらわれて、おなじことを繰り返して頼んで去った。
 夜が明けかかると、土地の役人が来て、荊州の帥《そつ》があなたを御招待して朝飯をさしあげたいと言った。先生はそれにも承
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