と座敷を出て行った。その人びとが残らず出尽くしたときに、古い家が突然に頽《くず》れ落ちた。かれらは鼠に救われたのである。家が頽れると共に、鼠はみな散りぢりに立ち去った。
陳巌の妻
舞陽《ぶよう》の人、陳巌《ちんがん》という者が東呉《とうご》に寓居《ぐうきょ》していた。唐の景龍《けいりゅう》の末年に、かれは孝廉《こうれん》にあげられて都へゆく途中、渭南《いなん》の道で一人の女に逢った。かれは白衣《はくい》をつけた美女で、袂《たもと》をもって口を被《おお》いながら泣き叫んでいるのである。
見すごしかねてその子細をきくと、女は泣きながら答えた。
「わたくしは楚《そ》の人で、侯《こう》という姓の者でございます。父はこころざしの高い人物として、湘楚《しょうそ》のあいだに知られて居りましたが、山林に隠れて富貴栄達《ふっきえいたつ》を望みませんでした。しかし沛《はい》国の劉《りゅう》という人とは親しい友達でありまして、その関係からわたくしはその劉家へ縁付《えんづ》くことになりました。それから丁度十年になりまして、自分としてはなんの過失《あやまち》もないつもりで居りますのに、夫は昨年から更に盧《ろ》氏の娘を娶《めと》りましたので、家内に風波が絶えません。又その女が気の強い乱暴な生まれ付きで、わたくしのような者にはしょせん同棲はできません。そんなわけで、逃げ出したような、逐い出されたような形で、劉家を立ち退いたのでございますが、どこへ行くという目的《めあて》もないので、こうして路頭《ろとう》に迷っているのでございます」
陳は律義《りちぎ》一方の人物であるので、初対面の女の訴えることをすべて信用してしまった。なにしろ行く先がなくては困るであろうと、一緒に連れ立って行くうちに、いつか夫婦のような関係が結ばれて、都へのぼって後も永崇里《えいそうり》というところに同棲していた。然るにこの女、最初のあいだは大層つつましやかであったが、だんだんに乱暴の本性《ほんしょう》をあらわして、時には気ちがいのようになって我が夫に食ってかかることもあるので、飛んだ者と夫婦になったと、陳も今さら悔んでいた。
ある日、陳が外出すると、その留守のあいだに妻は夫の衣類をことごとく庭先へ持ち出して、みなずたずたに引き裂いたばかりか、夕方になって陳が戻って来ると、彼女は門を閉じて入れないのである。陳も
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