いることが出来ても、とても二度と行く気にはなれないので、誰も彼も早々に引き揚げて来ました。その以来、わたくしどもは誓って墓荒しをしないことに決めました。あの時のことを考えると、今でも怖ろしくてなりません」
 この話はこれで終りであるが、そのほかにも墓を発《あば》いて種々の不思議に出逢った話はたくさんに言い伝えられている。
 近い頃、幾人の盗賊が蜀《しょく》の玄徳《げんとく》の墓をあばきにはいると、内には二人の男が燈火《あかり》の下で碁を打っていて、ほかに侍衛の軍人が十余人も武器を持って控えていたので、盗賊どももおどろいて謝まり閉口すると、碁にむかっていた一人が見かえって、おまえ達は酒をのむかと言い、めいめいに一杯の酒を飲ませた上に、玉の腰帯ひとすじずつを呉れたので、盗賊どもは喜んで出て来ると、かれらの口は漆を含んだように閉じられてしまった。帯と思ったのは巨《おお》きい蛇であった。

   王申の禍

 唐の貞元《ていげん》年間のことである。望苑《ぼうえん》駅の西に王申《おうしん》という百姓が住んでいた。
 彼は奇特《きどく》の男で、路ばたにたくさんの楡《にれ》の木を栽《う》えて、日蔭になるような林を作り、そこに幾棟の茅屋《かやや》を設けて、夏の日に往来する人びとを休ませて水をのませた。役人が通行すれば、別に茶をすすめた。こうしているうちに、ある日ひとりの若い女が来て水を求めた。女は碧《あお》い肌着に白い着物をきていた。
「わたくしはここから十余里の南に住んでいた者ですが、夫に死に別れて子供はなし、これから馬嵬《ばかい》駅にいる親類を頼って行こうと思っているのでございます」と、女は話した。その物言いもはきはきしていて、その挙止《とりなし》も愛らしかった。
 王申も気の毒に思って、水を与えるばかりでなく、内へ呼び入れて、飯をも食わせてやって、きょうはもう晩《おそ》いから泊まってゆけと勧めると、女はよろこんで泊めて貰うことになった。その明くる日、ゆうべのお礼に何かの御用を致しましょうというので、王の妻が試しに着物を縫わせると、針の運びの早いのは勿論、その手ぎわが実に人間わざとは思われないほどに精巧を極《きわ》めているので、王申も驚かされた。殊に王の妻は一層その女を愛するようになって、しまいには冗談のようにこんな事を言い出した。
「聞けばお前さんは近しい親類もないということ
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