みな回転して開閉自在に作られていた。四方には車道が通じていて、その高さは騎馬の人も往来が出来るほどである。ほかに高さ五|尺《しゃく》ほどの銅人《どうじん》が数十も立っていて、いずれも朱衣、大冠、剣を執って整列し、そのうしろの石壁には殿中将軍とか、侍郎常侍とか彫刻してある。それらの護衛から想像すると、定めて由緒ある公侯の塚であるらしく思われた。
さらに正面の棺を破ってみると、棺中の人は髪がすでに斑白《はんぱく》で、衣冠鮮明、その相貌は生けるが如くである。棺のうちには厚さ一尺ほどに雲母《きらら》を敷き、白い玉三十個を死骸の下に置き列《なら》べてあった。兵卒らがその死人を舁《か》き出して、うしろの壁に倚《もた》せかけると、冬瓜《とうが》のような大きい玉がその懐中から転げ出したので、驚いて更に検査すると、死人の耳にも鼻にも棗《なつめ》の実ほどの黄金が詰め込んであった。
次も墓あらしの話。
漢の広川王《こうせんおう》も墓あらしを好んだ。あるとき欒書《らんしょ》の塚をあばくと、棺も祭具もみな朽ち破れて、何物も余されていなかったが、ただ一匹の白い狐が棲んでいて、人を見ておどろき走ったので、王の
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