け》くして勝つことが出来ない。その闘いのあいだに、一人の騎士は馬から落ちて散らし髪になった。彼はそのままで再び鞍《くら》にまたがると、牛はその散らし髪におそれて水中に隠れた。
その以来、秦では旄頭騎《ぼうとうき》というものを置くことになった。
青い女
呉郡の無錫《むしゃく》という地には大きい湖《みずうみ》があって、それをめぐる長い坡《どて》がある。
坡を監督する役人は丁初《ていしょ》といって、大雨のあるごとに破損の個所の有無を調べるために、坡のまわりを一巡するのを例としていた。時は春の盛りで、雨のふる夕暮れに、彼はいつものように坡を見まわっていると、ひとりの女が上下ともに青い物を着けて、青い繖《かさ》をいただいて、あとから追って来た。
「もし、もし、待ってください」
呼ばれて、丁初はいったん立ちどまったが、また考えると、今頃このさびしい所を女ひとりでうろ付いている筈がない。おそらく妖怪であろうと思ったので、そのまま足早にあるき出すと、女もいよいよ足早に追って来た。丁はますます気味が悪くなって、一生懸命に駈け出すと、女もつづいて駈け出したが、丁の逃げ足が早いので、しょせん追い付かないと諦《あきら》めたらしく、女は俄かに身をひるがえして水のなかへ飛び込んだ。
かれは大きな蒼い河獺《かわうそ》で、その着物や繖と見えたのは青い荷《はす》の葉であった。
祭蛇記
東越《とうえつ》の※[#「門<虫」、第3水準1−93−49]中《みんちゅう》に庸嶺《ようれい》という山があって、高さ数十里といわれている。その西北の峡《かい》に長さ七、八丈、太さ十囲《とかか》えもあるという大蛇《だいじゃ》が棲《す》んでいて、土地の者を恐れさせていた。
住民ばかりか、役人たちもその蛇の祟《たた》りによって死ぬ者が多いので、牛や羊をそなえて祭ることにしたが、やはりその祟りはやまない。大蛇は人の夢にあらわれ、または巫女《みこ》などの口を仮りて、十二、三歳の少女を生贄《いけにえ》にささげろと言った。これには役人たちも困ったが、なにぶんにもその祟りを鎮める法がないので、よんどころなく罪人の娘を養い、あるいは金を賭《か》けて志願者を買うことにして、毎年八月の朝、ひとりの少女を蛇の穴へ供えると、蛇は生きながらにかれらを呑んでしまった。
こうして、九年のあいだに九人の生贄をささげて
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