る〈志怪《しかい》の書〉がどんなものであるかということを御会得《ごえとく》くだされば、こんにちの会合もまったく無意義でもなかろうかと存じます。
 さらに一言申し添えて置きたいと存じますのは、それらの〈志怪の書〉が遠い昔から我が国に輸入されまして、わが文学や伝説にいかなる影響をあたえたかということでございます。かの『今昔物語』を始めとして、室町時代、徳川時代の小説類、ほとんどみな支那小説の影響を蒙《こうむ》っていない物はないと言ってもよろしいくらいで、わたくしが一々《いちいち》説明いたしませんでも、これはなんの翻案《ほんあん》であるか、これはなんの剽窃《ひょうせつ》であるかということは、少しく支那小説を研究なされた方々には一目《いちもく》瞭然であろうと考えられます。甚だしきは、歴史上実在の人物の逸事《いつじ》として伝えられていることが、実は支那小説の翻案であったというような事も、往々《おうおう》に発見されるのでございます。
 そんなわけでありますから、明治以前の文学や伝説を研究するには、どうしても先ず隣邦《りんぽう》の支那小説の研究から始めなければなりません。彼を知らずして是を論ずるのは、水源《みなもと》を知らずして末流《すえ》を探るようなものであります。と言いましても、支那の著作物は文字通りの汗牛充棟《かんぎゅうじゅうとう》で、単に〈志怪の書〉だけでも実におびただしいのでありますから、容易に読破されるものではありません。わたくしが今日《こんにち》の会合を思い立ちましたのも、一つはそこにありますので、現代のお忙がしい方々に対して、支那小説の輪郭《りんかく》と、それが我が文学や伝説に及ぼした影響とを、いささかなりともお伝え申すことが出来れば、本懐の至りに存じます。
 ひと口に小説筆記と申しましても、その範囲があまりに広汎になりますので、こんにちは専《もっぱ》ら〈志怪の書〉すなわち奇談怪談を語っていただくことに致しました。勿論、支那の小説なるものは大抵は幾分の志怪気分を含んで居るようでありますが、ここでは明らかに〈志怪〉に限りました。実際、これらの〈志怪の書〉が早く我が国に輸入されまして、最もひろく我が国の人びとに読まれているのでございますから、その紹介が単なる猟奇趣味ばかりでないことは、先刻からの口上で御諒解を得たかと存じます。では、これから御《ご》順々にお願い申します
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