してお求めください。」
梅次郎も義助も若い者である。眼のまえに突然にあらわれて来た色白の若い女に対しては、今までのような暴《あら》っぽい態度を執るわけにもいかなくなった。
「姐《ねえ》さんがそう言うのだから偽物でもあるまいが、熊の胆はもう前の宿《しゅく》で買わされたのでな。」と、義助は言った。
これはどの客からも聞かされる紋切型の嘘である。この道中で商売をしている以上、それで素直に引下がる筈のないのは判り切っていた。娘は押返して、買ってくれと言った。梅次郎と義助は買うような、買わないような、取留めのないことを言って、娘にからかっていた。梅次郎は、ことし廿一で、本来はおとなしい、きまじめな男であったが、長い道中のあいだに宿屋の女中や茶屋の女に親しみが出来て、この頃では若い女に冗談の一つも言ってからかうようになったのである。義助は二つ違いの廿三であった。
七兵衛はさっきから黙って聞いていたが、その顔色が次第に緊張して来て、微笑を含んでいるそのくちびるが固く結ばれた。彼は手に持つ煙管《きせる》の火の消えるのも知らずに、熊の胆の押売りをする娘の白い顔をじっと眺めていたが、やがて突然に声をかけた。
「もし、おじいさん。その子はおまえの娘かえ、孫かえ。」
「いえ……。」と、毛皮売の男はあいまいに答えた。
「おまえの身寄りじゃあないのかえ。」と、七兵衛はまた訊いた。
「はい。」
七兵衛は無言で娘を招くと、娘はすこし躊躇しながら、その人が腰をかけている床几《しょうぎ》の前に進み寄った。七兵衛はやはり無言で、娘の右の耳の下にある一つの黒子《ほくろ》を見つめながら、探るようにまた訊いた。
「おまえの左の二の腕に小さい青い痣《あざ》がありはしないかね。」
娘は意外の問いを受けたように相手の顔をみあげた。
「あるかえ。」と、七兵衛は少しせいた。
「はい。」と、娘は小声で答えた。
「店のさきじゃあ話は出来ない。」と、七兵衛は立ちあがった。「ちょいと奥へ来てくれ。おじいさん、おまえも来てくれ。」
その様子がただならず見えたので、男も娘もまた躊躇していたが、七兵衛にせき立てられて不安らしく続いて行った。娘はよろめいて店の柱に突き当った。
「旦那はどうしたのでしょうな。」と、義助も不安らしく三人のうしろ姿をながめていた。
「さあ。」
梅次郎も不思議そうに考えていたが、俄に思い当ったよ
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