思議だが、そんな間違いが無いとも云えない。なにしろ夜のことだからな。
弥三郎 たとい夜でも、この通りの月夜だ。
源五郎 月夜でも何でも、昼とは違う。まして不断とは違って今の場合だ。狼を見付けよう見付けようと燥《あせ》っているので、人間の姿もつい狼のように見えてしまったのだ。
弥三郎 そうだろうか。(疑うように考えている。)
源五郎 (畳みかけて。)そうだ、そうだ。屹とそうだ。まあ考えてみるがいい。お前の女房が狼になって堪るものか。
モウロ (進み出づ。)そうです。この人の云う通りです。あなたはどうかして狼を見付け出そうと思って、こころが急いでいる。それがために眼が狂って、人と狼とを見ちがえたのです。そう云うことは珍しくありません。
弥三郎 それはまあそれとしても……。(源五郎に。)おれの女房が今ごろ何でこんなところを駈け廻っていたのか。その理屈が判らないな。
源五郎 むむ。
(源五郎も少しく返事に詰まると、モウロはマリアの像を見せる。)
モウロ あなたの妻はこれを持って来たのです。これをわたくしの所へ返しに来たのです。
弥三郎 (像を受取って眺める。)これは唯の仏像でもなく、異国の物らしいが……。こんな物を持っているようでは、ここへも来たことがあるのですか。
モウロ はい。来たことがあります。それはわたくしが貸して遣ったのです。
源五郎 では、今夜それを返しに来たところを、おまえが遠目に狼と間違えたのだ。さあ、それですっかり[#「すっかり」に傍点]訳がわかった。
五平 そう聞けば、別に不思議もないようだ。
寅蔵 こうなると、おいよさんは飛んだ災難で、気の毒であった。
五平 ふだんから近所でも評判の好い人であったのに、惜しいことをしたな。
寅蔵 まったく惜しいことをしたが、それでも他人の手にかかったのでないから、幾らか諦めもいいと云うものだ。
五平 諦めのいい事もあるまいが、まあ、まあ、そう思って無理に諦めるより外はあるまいよ。
源五郎 おいよさんはあの通りの貞女だから、粗相とわかれば何で亭主を恨むものか。
弥三郎 いや、恨まれても仕方がない。(死骸にむかいて。)これ、堪忍してくれ。夫婦になって足かけ十年、浪人暮らしの苦労をさせた上に、こんなことでお前を殺そうとは思わなかった。いつまで云っても同じことだが、おれは確に狼を撃った積りであったに……。どうしてこんな事になっ
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