、取逃したかな。
(弥三郎はやはり其処らを見まわしている。モウロも窓に出て声をかける。)
モウロ あなたの撃った人はここに居ります。
弥三郎 え、人を撃った……。
(弥三郎はおどろいて家の内へかけ込み、そこに倒れているおいよを見て又おどろく。)
弥三郎 やあ、これはおれの女房だ、女房だ。
モウロ では、あなたは……。田原さんですか。
弥三郎 そうです、そうです。(慌てて呼び活ける。)これ、しっかりしろ。おいよ……おいよ……。ああ、やっぱり急所に中《あた》ったのか。
モウロ お気の毒なことでした。
弥三郎 (おいよの死骸をあらためる。)はて、どうも不思議だ。たしかに狼に見えたのだが……。
モウロ あなたの眼には狼と見えましたか。
弥三郎 あすこの[#「あすこの」は底本では「おすこの」]草原を駈けてゆく姿が、月あかりで確に狼にみえたので、直ぐに火蓋を切りましたが……。(不審そうに考える。)夜目遠目とはいいながら、わたしも多年の商売で、人と獣を見違える筈はない。まして今夜は月が明るいのに、どうしてこんな間違いを仕出来《しでか》したのか。自分でも夢のようで、何がなんだか判らない。
(弥三郎は疑惑に鎖《とざ》されて、空しく溜息をついている。下のかたより源五郎を先に、五平と寅蔵出づ。)
源五郎 合図の呼子がきこえたが……。
五平 鉄砲の音も聞えたぞ。
寅蔵 何でもこっちの方角であった。
弥三郎 (内より呼ぶ。)おい、ここだ、ここだ。
(その声を聞きて、三人はどやどやと内に入る。)
源五郎 狼を見つけたのか。
弥三郎 狼は……この通りだ。
(三人は覗いておどろく。)
源五郎 これはお前の女房ではないか。
五平 むむ。おいよさんだ。おいよさんだ。
寅蔵 お前がおいよさんを撃ったのか。
源五郎 一体どうしてこんな間違いをしたのだ。
弥三郎 それがおれにも判らない、たしかに狼のすがたに見えたから撃ったのだが……。駆けつけて見ると、この始末だ。いくら俺が慌てていても、自分の女房を狼と間違えて撃つと云うことがあるものか。なんだか狐にでも化かされているようだ。
(このあいだに、源五郎は何か思い当るように思案している。)
五平 なるほど弥三郎どんの云う通り、人間と狼を間違える筈は無さそうだ。
寅蔵 併しこのおいよさんが狼に見えたというのが不思議だな。
源五郎 (打消すように。)不思議といえば不
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