い。
(五平と寅蔵は下のかたへ去る。)
お妙 (ひとり言。)ほんに姉さんはどうしたのか。
(お妙は砧を打ちつづけている。やがて向うよりおいよと正吉が足早に出づ。)
おいよ (わが家を指さして。)あれがわたくしの家でござります。
正吉 では、もうこれでお別れ申しましょう。
おいよ 御苦労でござりました。伴天連《バテレン》様にもどうぞ宜しく仰しゃって下さい。
正吉 かしこまりました。では、明日……。
おいよ はい。かならず伺います。
(正吉は会釈して、引返して去る。おいよは門口に来りて内をうかがい、木戸をあけて入る。)
お妙 おお、姉さん……。(砧をやめて立寄る。)あんまり帰りが遅いので、どうなされたかと案じていました。
おいよ 大方そうであろうと思って、随分急いで来たのですが、それでも遅くなって済みませんでした。して、兄さんは……。
お妙 さっき支度をして出られました。
おいよ さっき支度をして……。
お妙 五平さんと寅蔵さんも唯《た》った今、誘いに来ました。
おいよ 今夜も総出で狼狩か。それでは暁方まで帰られまい。
お妙 (やや気味悪るそうに、おいよの様子を窺いながら。)姉さん、お夕飯は……。
おいよ お前もまだですか。
お妙 お帰りがあまり遅いので、わたしはお先へ喫《た》べてしまいました。
おいよ (うなずく。)わたしはもう喫べたくもないが……。
お妙 心持でも悪いのですか。
おいよ いいえ。別に……。(考えて。)まあ、兎もかくも一杯たべましょうか。
(おいよは奥に入る。お妙はやはり気味悪るそうに見送りて半信半疑の体《てい》、そっと抜き足をして奥をうかがい、再び庭に降りて砧を打ち始めたるが又すぐに打ちやめ、片手に槌を持ちたるまま又もやそっと縁にあがりて、奥を窺おうとする時、出逢いがしらに障子をあけておいよ出づ。)
お妙 (はっとして後へさがる。)もうお済みになりましたか。
おいよ どうも喫べる気がないので止めました。
お妙 では、やはり何処か悪いのでは……。(おいよの顔を見て。)なんだか顔の色もよくないような。夜風に吹かれて、冷えたのではありませんか。
おいよ 此頃は逢う人ごとに顔の色が悪いと云われるが……。自分では別にどこが悪いとも思いません。冷えると云えばお前こそ、いつまでも庭に出ていて、冷えると悪い。もうだんだんに夜が更けます。好い加減にして内へ這入ったら何
前へ
次へ
全25ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング