十年振りで我が子の顔を見ましたれば、思い置くこともござりませぬ。しかし又なまじいにめぐりあった為に、なんにも知らぬ我が子に連坐《まきぞえ》の咎めが掛かろうかと思うと、それが悲しゅうござります」と、九郎右衛門は白洲《しらす》で涙を流した。
 奉行にも涙があった。六三郎はふだんから正直の聞えのある者、殊に父子とはいいながら十年も音信不通で、父の罪咎《つみとが》に就いてなんの係り合いもないことは判り切っている。また一方には親方の庄蔵から町名主《まちなぬし》にその事情を訴えて、六三郎の赦免をしきりに嘆願したので、結局六三郎はお構いなしということで免《ゆる》された。
「飛んだ災難であったが、まあ仕方がない。悪い親を持ったが因果と諦めろ」と、親方は慰めるように言った。
 この噂を聞いて、お園も定めて案じているだろうとは思ったが、この場合どうしても謹慎していなければならない六三郎は、親方の手前、世間の手前、迂闊《うかつ》に外出することもできないので、じっと堪《こら》えておとなしく日を送っていた。
 九郎右衛門は胆《きも》の据わった男だけに、今更なんの未練もなしに自分の罪科《ざいか》をいさぎよく白状し
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