「よく気がついた。当分お詣りもできまいから、おふくろの墓へ行って、よくその訳をいって拝んで来るがいい」と、親方は幾らかの布施《ふせ》を包んでくれた。
六三郎はありがたくその布施をいただいて、午《ひる》すぎから親方の家を出た。今日もどんよりと陰った日で、裏の空地の桜は風もないのにもう散りそめていた。
寺は六三郎が昔住んだ長町《ながまち》裏にあった。親方の家へ引き取られてからも六三郎は参詣を欠かしたことがないので、住職にも奇特《きどく》に思われていた。住職も今度の一条を知っているので、六三郎の不運を気の毒がって親切に慰めてくれた。江戸へ行くというのを聞いて、成る程それもよかろう、たとい幾年留守にしても阿母《おっか》さんの墓を無縁にするようなことは決してしない、安心して行くがよいと、これも江戸の知りびとに添え手紙などを書いてくれた。
暇《いとま》乞いをして寺を出るころには雨が降って来た。六三郎は雨の中を千日寺へも行った。父の死首《しにくび》はもう梟《さら》されていないでも、せめて墓詣りだけでもして行きたいと思ったのである。死罪になった者の死体は投げ込み同様で、もとより墓標なども見えなかったが、それでも[#「それでも」は底本では「それても」]寺僧の情けで新しい卒塔婆《そとば》が一本立っていた。
十年振りでめぐり合った父が直ぐにここの土になろうとは、まるで一※[#「日+向」、第3水準1−85−25]《いっとき》の夢としか思われなかった。しかもその夢はおそろしい夢であった。卵塔場《らんとうば》には春の草が青かった。細かい雨が音もなしに卒塔婆をぬらしていた。父に逢った夕暮れにもこんな雨にぬれたことを思い出して、顔のしずくを払う六三郎の指先には涙のしずくも流れた。
死んだ父母に暇乞いは済んだ。今度は生きた人に暇乞いをしなければならない。日が暮れて六三郎はさらに新屋敷へ行った。
「よう来て下さんした」
お園は六三郎を揚屋《あげや》へ連れて行った。今夜は当分の別れである。格子の立ち話では済まされなかった。二人が薄暗い燭台の前に坐った時に、雨の音はまだやまなかった。お園はどう工面《くめん》したか二両の金を餞別にくれた。それから自分が縫ったといって肌着をくれた。
もう決心はしたものの、六三郎はやっぱりお園に別れるのが辛かった。呪われた土地がやっぱり懐かしかった。お園と行く末の
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