いので、堀部君は半分夢中でそれを乗り越えて、表の往来まで追って出ると、娘の影は大きい楊《やなぎ》の下にまた浮き出した。
「姑娘、姑娘。」と、堀部君は大きい声で呼んだ。「上那児去《シャンナールチユイ》。」
 どこへ行く、などと呼びかけても、娘の影は見返りもしなかった。それは風に吹きやられる木の葉のように、何処《どこ》ともなしに迷って行くらしかった。
 それでも姑娘を呼びつづけて七、八|間《けん》ほども追って行くと、又ひとしきり烈しい吹雪がどっと吹きまいて来て、堀部君はあやうく倒されそうになったので、そこらにある楊に取り付いてほっとひと息ついた時に、堀部君はさらに怪しいものを見せられた。それはさっき門内の空地にさまよっていた女のような白い影で、娘よりも二、三歩さきに雪のなかを浮いて行くと、娘の影はそれにおくれまいとするように追って行くのであった。うず巻く雪けむりの中にその二つの白い影が消えてあらわれて、よれてもつれて、浮くかと思えば沈み、たゆとうかと思えばまた走って、やがて堀部君の眼のとどかない所へ隠れてしまった。
 もう諦めて引っ返して来ると、内には李太郎が蝋燭をとぼして、恐怖に満ちた眼色をしてぼんやりと突っ立っていた。
「姑娘はどうした。」と、堀部君はからだの雪を払いながら訊いた。
「姑娘、おりません。」
 堀部君はさらに右の方の部屋をたずねると、主人の老人は寝床から這い落ちたらしい妻を抱えて、土間の上に泣き倒れていた。娘らしい者の姿は見えなかった。

 話はこれぎりである。堀部君はあくる朝そこを発って、雪の晴れたのを幸いに、三里ほどの路をたどって劉の家をたずねると、その一家でもゆうべの話をきいて、みな顔色を変えていたそうである。ここらの者はすべて雪女の伝説を信じているらしいということであった。もし堀部君に探偵趣味があり、時間の余裕があったらば、進んでその秘密を探り究めることが出来たかも知れなかったが、不幸にして彼はそれだけの事実をわたしに報告してくれたに過ぎなかった。



底本:「鷲」光文社文庫、光文社
   1990(平成2)年8月20日初版1刷発行
初出:「子供役者の死」隆文館
   1921(大正10)年3月
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2006年10月31日作成
青空文庫作成ファイル:
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