《リートー》というのが本名であるが、堀部君の店では日本式に李太郎と呼びならわしていた。
「劉家《リューツェー》、遠いあります。」と、李太郎も白い息をふきながら答えた。「しかし、ここらに客桟《コーチェン》ありません。」
「宿屋は勿論あるまいよ。だが、どこかの家で泊めてくれるだろう。どんた穢《きたな》い家でも今夜は我慢するよ。この先の村へはいったら訊《き》いて見てくれ。」
「よろしい、判りました。」
 二人はだんだんに烈しくなって来る粉雪のなかを衝いて、俯向《うつむ》きがちにあえぎながら歩いて行くと、葉のない楊《やなぎ》に囲まれた小さい村の入口にたどり着いた。大きい木のかげに堀部君を休ませて置いて、李太郎はその村へ駈け込んで行ったが、やがて引っ返して来て、一軒の家を見つけたと手柄顔に報告した。
「泊めてくれる家《うち》、すぐ見付けました。家の人、たいそう親切あります。家は綺麗、不乾浄《プーカンジン》ありません。」
 縞麗でも穢くても大抵のことは我慢する覚悟で、堀部君は彼に誘われて行くと、それは石の井戸を前にした家で、ここらとしてはまず見苦しくない外構えであった。外套の雪を払いながら、堀部君は転《ころ》げるように門のなかへ駈け込むと、これは満洲地方で見る普通の農家で、門の中にはかなり広い空地がある。その左の方には雇人の住家らしい小さい建物があって、南にむかった正面のやや大きい建物が母屋《おもや》であるらしく思われた。
 李太郎が先に立って案内すると、母屋からは五十五、六にもなろうかと思われる老人が出て来て、こころよく二人を迎えた。なるほど親切な人物らしいと、堀部君もまず喜んで内へ誘い入れられた。家のうちは土竈《どべっつい》を据えたひと間をまん中にして、右と左とにひと間ずつの部屋が仕切られてあるらしく、堀部君らはその左の方の部屋に通された。そこはむろん土間で、南側と北側とには日本の床よりも少し高い寝床《ねどこ》が設けられて、その上には古びた筵《むしろ》が敷いてあった。土間には四角なテーブルのようなものが据えられて、木の腰掛けが三脚ならんでいた。
 老人は自分がこの家の主人であると言った。この頃はここらに悪い感冒がはやって、自分の妻も二人の雇人もみな病床に倒れているので碌々《ろくろく》にお構い申すことも出来ないと、気の毒そうに言訳をしていた。
「それにしても何か食わしてもらい
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