く吊り下げてあった。
 疲れている堀部君は暖かい寝床の上でいい心持に寝てしまったが、自分の頭の上にある窓の戸を強くゆするような音におどろかされて眼を醒ました。部屋のうちは真っ暗で、細い火縄の火が秋の蛍のように微かに消え残っているばかりである。むこう側の寝床の上には、李太郎が鼾《いびき》を立てて寝入っているらしかった。耳をすまして窺うと、家のうちはしィんとして鼠の走る音も聞えなかったが、表の吹雪はいよいよ吹き暴れて来たらしく、浪のような音を立ててごうごうと吹き寄せていた。窓の戸の揺れたのはこの雪風であることを堀部君はすぐに覚《さと》った。満洲の雪の夜、その寒さと寂しさとには馴れていながらも、堀部君はなんだか眼がさえて再び寝つかれなくなった。
 床の上に起き直って、堀部君はマッチをすって、懐中時計を照らしてみると、今夜はもう十二時に近かった。ついでに巻煙草をすいつけて、その一本をすい終った頃に、烈しい吹雪はまたどっと吹き寄せて来て、窓の戸を吹き破られるかと思うように、がたがたとあおられた。宵の話を思い出して、かの雪女が闖入《ちんにゅう》して来る時には、こんな物音がするかも知れないなどと堀部君は考えた。そうして、またもや横になったが、一旦さえた眼はどうしても合わなかった。
「なぜだろう。」
 自分は有名の寝坊で、いつも朋輩《ほうばい》たちに笑われているくらいである。なんどきどんな所でも、枕につけばきっと朝までは正体もなく寝てしまうのが例であるのに、今夜にかぎって眠られないのは不思議である。やはりかの雪女の一件が、頭のなかで何かの邪魔をしているのではあるまいか。俺もだんだんシナ人にかぶれて来たかと、堀部君は自分で自分の臆病をあざけったが、また考えてみると、幽霊よりも馬賊の方が恐ろしい。幽霊などは初めから問題にならないが、馬賊は何をするか判らない。日本人が今夜ここに泊り込んだのを知って、夜なかに襲って来ないとも限らない。堀部君は提げ鞄《かばん》からピストルを探り出して、枕もとにおいた。こうなるといよいよ眠られない。いや、眠られない方が本当であるかも知れないと思い直して、堀部君は寝床の上に起き直ってしまった。
 寝しずまった村の上に吹雪は小やみもなしに暴れ狂っていた。夜がふけて煖炉の火もだんだん衰えたらしく、堀部君は何だかぞくぞくして来たので、探りながら寝床を這《は》い降りて、
前へ 次へ
全12ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング