ば何処かの隙間《すきま》からでも自由にすっとはいって来られそうなものだのに、怖ろしい音をさせてはいって来るなどはどうも怪しいよ。それらを考えたら、幽霊の正体も大抵は判りそうなものだが……。」
 あっぱれ相手の蒙《もう》をひらいたつもりで、堀部君はここまでひと息にしゃべり続けたが、それは一向に手ごたえがなかった。李太郎は木偶《でく》の坊のようにただきょろりとして、こっちの口と眼の動くのを眺めているばかりで、なんともはっきりした返事をしないので、堀部君は少し焦《じ》れったくなって来た。今どきこんな迷信にとらわれて、あくまでも雪女の怪を信じているのかと思うと、情けなくもあり、ばかばかしくも感じられてならなかった。堀部君は叱るように彼を催促した。
「おい。そのことをここの主人に話して、早く安心させてやれよ。可哀そうに顔の色を変えて心配しているじゃないか。」
 叱られて、李太郎はさからわなかった。彼は主人の老人にむかって小声で話しかけた。堀部君もひと通りのシナ語には通じていたので、彼が正直に自分の意見を取次いでいるらしいのに満足して、黙って聞く人の顔色を窺っていると、老人は苦笑いをしてしずかにその頭《かしら》をふった。
「まだ判らないのか。馬鹿だな。」
 堀部君は舌打ちした。今度は直接に自分から懇々と言い聞かせたが、老人は暗い顔をしてただ薄笑いをしているばかりで、どうしても、その意見を素直には受け入れないらしいので、堀部君もいよいよ癇癪《かんしゃく》を起した。
「もう勝手にするがいい。いくら言って聞かせても判らないんだから仕方がない。こんな人間だから大事の娘がさらって行かれるんだ。ばかばかしい。」
 こっちの機嫌が悪いらしいので、老人は気の毒そうに黙ってしまった。李太郎も手持ち不沙汰のような形でうつむいていた。
「李太郎。もう寝ようよ。雪女でも出て来るといけないから。」と、堀部君は言いだした。
「寝る、よろしい。」
 李太郎もすぐに賛成した。老人は挨拶して、自分の部屋の方へ帰った。寝床のむしろを探ってみると、煖炉は丁度いい加減に暖まっているので、堀部君は靴をぬいで寝床へ上がって毛織りの膝掛けを着てごろ寝をしてしまった。李太郎はもう半分以上も燃えてしまった蝋燭の火を細い火縄に移して、それからその蝋燭を吹き消した。火縄は蓬《よもぎ》の葉を細く縒合《よりあわ》せたもので、天井から長
前へ 次へ
全12ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング