つもりであると僕たちが答えると、彼は再び頭をふり、手を振って、それはいけないというらしいのである。しかし僕たちは支那語によく通じていない上に、相手は満洲なまりが強いと来ているので、その言うことがはっきりと判らない。彼は何か我れわれをおどすような表情や手真似をして、そこへ泊るのは止せというらしいのであるが、その意味がどうも十分に呑み込めないので、僕たちも焦《じ》れ出した。
「まあ、いい。なんでも構わないから、内へはいって交渉して見よう。」
 気の早い三人は先に立って門内にはいり込んだ。僕も続いてはいろうとすると、かの男は僕の腰につけている雑嚢《ざつのう》をつかんで、なにか口早に同じようなことを繰返すのである。僕は無言でその手を振払って去った。
 門はあいたが、内には人のいるらしい様子もみえない。四人は声をそろえて呼んだが、誰も答える者はなかった。
「あき家かしら。」
 四人は顔をみあわせて、さらにあたりを見廻すと、門をはいった右側に小さい一棟の建物がある。正面の奥にも立木のあいだに母屋《おもや》らしい大きい建物がみえる。ともかくも近いところにある小さい建物の扉《とびら》を押して見ると、これもすぐにあいたが、内には人の影もなかった。
 僕たちはもう疲れ切っているので、なにしろここで休もうということになって、破れたアンペラを敷いてある床《ゆか》の上に腰をかけた。腹はすいているが、食いものはない。せめては水でも飲もうと、四人は肩にかけている水筒をとって飲みはじめたが、午飯《ひるめし》のときの飲み残りぐらいでは足りないので、僕は門前の井戸へ汲みに出ると、かの男はまだそこの柳の下に立っていた。
 僕が水をくれと言うと、彼は快くバケツの水を水筒に入れてくれたが、やはり何か口早にささやくのである。それが僕にはどうしても呑み込めないので、彼も焦れて来たらしく、再び木の枝を取って、「家有妖」と土に書いた。それで僕にも大抵は想像が付いた。僕は「鬼」という字を土に書いて見せると、それは知らない。しかしあの家には妖があると彼は答えた。この場合、鬼と妖とはどう違うのか判らなかったが、この家はなにか一種の化物屋敷とでもいうものであるらしいことだけはまず判った。要するに、あの家には妖があるから、うかつに入り込むのはよせというのである。僕は彼に礼をいって別れた。
 引っ返してみると、僕の出たあとへ一人の老人が来て、しずかに他の人たちと話していた。四人のうちでは比較的支那語をよくするT君がその通訳にあたっていて、僕たちに説明してくれた。
「この老人はこの家に三十年も奉公している男で、ほかにも四、五人の奉公人がいるそうだ。このあいだから眼のまえで戦争がはじまっているので、家内の者はみな奥にかくれている。したがって、別段おかまい申すことは出来ないが、茶と砂糖はある。裏の畑に野菜がある。泊りたければここへ自由にお泊りなさいと、ひどく親切に言ってくれるのだ。泊めてもらおうじゃないか。」
「もちろんだ。多謝《トーシェー》、多謝《トーシェー》。」と、僕たちは口をそろえてかの老人に感謝した。
 老人は笑いながら立去った。あとでT君は畑にどんなものがあるか見て来ようと言って出たが、やがて五、六本の見事な唐もろこしをかかえ込んで来た。それはいいものがあると喜んで、M君がまた駈け出して取りに行った。家の土間には土竈《どべっつい》が築いてあるので、僕たちはその竈《かまど》の下に高粱《コウリャン》の枯枝を焚いて唐もろこしをあぶった。めいめいの雑嚢の中には食塩を用意していたので、それを唐もろこしに振りかけて食うと、さすがは本場だけに、その旨い味は日本の唐もろこしのたぐいでない。
 僕たちは代るがわるに畑からそれを取って来てむさぼり食らっていると、かの老人は十五六の少年に湯わかしを持たせて、自分は紙につつんだ砂糖と茶を持って来てくれたので、僕たちは再び多謝《トーシェー》をくり返して、すぐに茶をこしらえる支度をして、その茶に砂糖を入れてがぶがぶと飲みはじめた。唐もろこしを腹いっぱいに食い、さらにあたたかい茶を飲んで、大いに元気を回復したのを、老人はにこにこしながら眺めていたが、やがてT君にむかって小声で言い出した。この一行のうちに薬を持っている人はないかというのである。
 実は主人夫婦のあいだにことし十七になる娘があって、それが先頃から病気にかかっている。ここらでは遼陽の城内まで薬を買いに行かなければならないのであるが、この頃は戦争のために城内と城外との交通が絶えてしまったので、薬を求める法がない。日本の大人《たいじん》らのうちに、もし薬を持っている人があるならば、どうかお恵みにあずかりたいと彼は懇願するように言った。
 彼が我れわれに厚意を見せたのは、そういう下ごころがあったためであることが判ってみると、我れわれの感謝も幾分か割引をしなければならないことになるが、その事情をきけば全く気の毒でもある。由来、ここらの人は日本人をみな医者か薬屋とでも心得ているのか、僕たちの顔を見ると、とかくに病気を診察してくれとか、薬をくれとか言う。今までにもその例はたびたびあるので、この老人の無心も別にめずらしいとは思わなかったが、病人の容体をよく聴かないで無暗に薬をやることは困る。現に海城の宿舎にいたときにも、胃腸病の患者に眼薬の精※[#「金+奇」、第3水準1−93−23]水《せいきすい》をやって、あとでそれに気がついて、大いに狼狽して取戻したことがある。その失敗にかんがみて、その後は確かにその病人を見届けない限りは、うかつに薬をあたえない事にしていた。
 T君はその事情を彼に話して、ともかくもその病人に一度逢わせてもらいたいと言うと、老人はすこぶる難儀らしい顔をして、しばらく思い煩《わずら》っているらしかったが、こっちの言い分にも無理はないので、それでは主人とも一応相談してみようということになって、彼は他の少年と一緒に奥へ引っ返して行った。
 僕たちはもちろん医者ではないが、それでもでたらめに薬をやるよりは、一応その本人の様子を見て、親しくその容体をきいた上で、それに相当しそうな薬をあたえた方が安全である。殊にその当時は僕たちもまだ若かったから、その病人が十七の娘であるというので、どんな女か見てやりたいというような一種の興味も伴っていたのであった。
「どんな女だろう。まだ若いんだぜ。」
「一体なんの病気だろう。」
「婦人病だと困るぜ。そんな薬は誰も用意して来なかったからな。」
「悪くすると肺病だぜ。支那では癆《ろう》とかいうのだそうだ。」
 そんな噂をしているうちに、僕はかの「家有妖」の一件を思い出した。
「門の前の井戸で水を汲んでいた男……あの男の話によると、ここの家《うち》には化物が出るか、なにかの祟りがあるか、なにしろ怪しい家らしいぜ。あの男は家有妖と書いて見せたよ。」
「むむう。」と、ほかの三人も首をかしげた。
「それじゃあ、その娘というのも何かに取憑《とりつ》かれてでもいるのかも知れないな。」とT君は言った。
「そうなると、我れわれの薬じゃあ療治は届かないぞ。」とM君は笑い出した。
 僕たちも一緒に笑った。ふだんならばともかくも、いわゆる砲煙弾雨《ほうえんだんう》のあいだをくぐって、まかり間違えば砲弾のお見舞を受けないとも限らない現在の我れわれに取っては、家に妖ありぐらいは余り問題にならないのであった。
「それにしても、娘は遅いな。」
「支那の女はめったに外人に顔をみせないというから、出て来るのを渋っているのかも知れない。」
「ことに相手が我れわれでは、いよいよ渋っているのだろう。」
 前面には砲声が絶えずとどろいているが、この頃の僕たちはもうそれに馴れ切ってしまったので、重砲のひびきも曳光弾《えいこうだん》のひかりも、さのみに我れわれの神経を刺戟しなくなった。僕たちはそこらに行儀わるく寝ころんで、しきりに娘の噂をしているあいだに、きょうの日ももう暮れかかって、秋の早い満洲のゆうべは薄ら寒くなって来たので、土間の隅に積んである高粱《コウリャン》を折りくべて、僕たちは霜を恐れるきりぎりす[#「きりぎりす」に傍点]のように竈《かまど》の前にあつまった。

     二

「敵もいい加減にしないかな。早く遼陽へ行ってみたいものだ。」
 むすめの噂も飽きて来て、さらにいつもの戦争のうわさに移ったときに、足音をぬすむようにしてかの老人が再びここへ姿をあらわして、主人の娘を今ここへ連れて来るから何分よろしくおねがい申すと言った。それを聴いて、僕たちは待ちかねたように起《た》ちあがって、老人のあとに付いて門口《かどぐち》に出ると、外はもう暗くなって、大きい柳の葉のゆるくなびいている影が星あかりの下に薄白く見えるばかりであった。そこらではこおろぎ[#「こおろぎ」に傍点]のむせぶ声もきこえた。
 やがて奥の木立ちの間に一つの燈籠の灯《ひ》がぼんやりと浮き出した。それはここらでしばしば見る画燈《がとう》である。僕はにわかに剪燈新話《せんとうしんわ》の牡丹燈記を思い出した。あわせて円朝の牡丹燈籠を思い出した。そうして、その灯をたずさえて来るのが美しい幽霊のような女であることを想像して、一種の幽怪凄絶の気分に誘い出された。灯がだんだんに近寄って来ると、それに照らし出された影はひとつではなかった。問題の娘らしい若い女は老女に扶《たす》けられて、そのそばにはまたひとりの若い女が画燈をさげて附添っていたが、いずれも繍《ぬい》の靴をはいているとみえて、もう夜露のおりているらしい土の上を音もなしに歩いて来た。
 老女はむすめの母でない。画燈をさげた若い女と共にこの家の召使であるらしいことは、その風俗を見てすぐに覚られたので、僕たちはかれらふたりを問題にはしないで、一斉に注意の眼をまん中の娘にあつめると、娘は十七というにしては頗るおとなびていた。痩せてはいるが背も高い方で、うすい桃色地に萌葱《もえぎ》のふちを取った絹の着物を着て、片手を老女にひかれながら、片手の袖は顔半分をうずめるよう掩《おお》っていた。その袖のあいだからかなり強い咳の声が時どき洩れた。
 画燈に照らされた三つの影がひと株の柳の下にとどまると、かの老人は静かに近寄って老女に何事かをささやいた。老女は彼の妻であるらしい。老人はさらに僕たちに向って、病人の娘が来ましたから、御診察をねがいたいと丁寧に言った。さあ、こうなると四人のうちで誰が進んで病人を診察するかと、僕たちも今更すこしく躊躇したが、なんといってもT君が比較的に支那語に通じているのであるから、これがお医者さまになるよりほかはない。T君も覚悟して進み出て、いよいよ病人の脈を取ることになった。T君は病人の顔を見せろと言うと、老人はあたかもそれを通訳するように老女にささやいて、青い袖の影に隠されている娘の顔を画燈の下にさらさせた。その娘は僕がひそかに想像していた通り、色の蒼白い、まったく幽霊のような美しい女であった。剪燈新話の女鬼――それが再び僕の頭にひらめいた。
 T君は娘の顔をながめ、脈を取り、さらに体温器でその熱度をはかった。そのあいだにも娘は時どきに血を吐きそうな強い咳をして、老女に介抱されていた。T君は僕たちを見返って小声で言った。
「君。どうしても肺病だね。」
「むむ。」と、僕たちは一度にうなずいた。かれが呼吸器病の患者であることは、我れわれの素人眼にも殆んど疑うの余地がなかった。
「熱は八度七分ぐらいある。」と、T君はさらに説明した。「軍医部が近いところにあれば、その容体をいって薬を貰って来てやるのだが、今はどうすることも出来ない。まあ気休めに解熱剤《げねつざい》でもあたえておこうか。」
「まあ、そんなことだな。」と、僕も言った。
 T君は雑嚢から解熱剤の白い粉薬《こなぐすり》を出して、その用法を説明してあたえると、老人は地にひざまずいて押し戴いた。それをみていて、僕はひどく気の毒になった。満洲の土人は薬をめったに飲んだことがないので、日本人にくらべると非常に薬の効目《ききめ》があ
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