れません。幾度も寝がえりをしているうちに、またなんだか胸が重っ苦しくなって、髪の毛が掻きむしられるように思われますので、今度は一生懸命になって、からだを半分起き直らせて、枕もとをじっと窺いますと、暗いなかで何か光るものがあります。はて、なにか知らんと怖ごわ見あげると、柱にかけてある猿の面……。その二つの眼が青い火のように光り輝いて、こっちを睨みつけているのでございます。わたしはもう堪らなくなりましてあわてて飛び出そうとしましたが、雨戸の栓がなかなか外《はず》れない。ようようこじ明けて庭先へ転げ出すと、土は雨に濡れているので滑って倒れて……重ねがさね御厄介をかけるようなことになりました。」
 井田さんの話が嘘でないらしいことは、その顔色を見ても知れます。
 洒落や冗談にそんな人騒がせをするような人でないこともふだんから判っているので、父も不思議そうに聴いていましたが、ともかくも念のために見届けようと言って起《た》ちあがりました。母はなんだか不安らしい顔をして、父の袂をそっと引いたようでしたが、父は物に屈しない質《たち》でしたから、かまわずに振切って離れの方へ出て行きましたが、やがて帰って
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