分の勤めている銀行には無断で、一週間ほど以前にどこへか姿を隠した。
「その内田という男の居処はまだ知れませんか。」と、僕は訊いた。
「知れません。」と、それを話した世話役は答えた。「銀行の方には別に不都合はなかったようですから、まったく世間の評判が怖ろしかったのであろうと思われます。」
「内田はいくつぐらいの男ですか。」
「二十八九です。」
「家出をした時には、どんな服装をしていたか判りませんか。」と、僕はまた訊いた。
「銀行から家へ帰らずに、すぐに東京行きの汽車に乗り込んだらしいのですが、銀行を出た時には鼠色の洋服を着て、中折帽子をかぶっていたそうです。」
僕の総身《そうみ》は氷のように冷たくなった。
「そうすると、妙義へ君をたずねて行ったのは、その内田という男なのかね。」
青蛙堂の主人はその話のとぎれるのを待ちかねたようにたずねると、第三の男は大きい溜息をつきながらうなずいた。
「そうだ。僕の話を聴いて、彼の親戚と銀行の者とが僕と一緒に妙義へ来てみると、蝋燭谷の谷底に横たわっていた死体は、たしかに内田に相違ないということが判った。しかし彼がなぜ僕をたずねて来たのか、それは誰に
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