にはいろいろのお世話になりました。つきましては、わたしの死にぎわに少し聴いておいてもらいたいことがあるのですが……。」
「まあ、待ちなさい。薬がもう出来た時分だ。これを飲んでからゆっくり話しなさい。」
 平助に薬をのませてもらって、座頭は風の音に耳をかたむけた。
「雪はまだ降っていますか。」
「降っているようだよ。」と、平助は戸の隙間から暗い表をのぞきながら答えた。
「雪のふるたびに、むかしのことがひとしお身にしみて思い出されます。」と、座頭はしずかに話し出した。
「今まで自分の名をいったこともありませんでしたが、わたしは治平といって、以前は奥州筋のある藩中に若党《わかとう》奉公をしていた者です。わたしがここへ来たのは三十一の年で、それから足かけ五年、今年は三十五になりますが、今から十三年前、わたしが二十二の春、やはり雪の降った寒い日にこの両方の眼をなくしてしまったのです。わたしの主人は野村彦右衛門といって、その藩中でも百八十石取りの相当な侍で、そのときは二十七歳、御新造《ごしんぞ》はお徳さんといって、わたしと同年の二十二でした。御新造は容貌《きりょう》自慢……いや、まったく自慢しても
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