方でも無理に聞き出そうともしなかった。しいてそれを詮議すれば、彼はきっとここを立去ってしまうであろうと察したからである。
それでも唯一度、なにかの夜話のついでに、平助は彼に訊《き》いたことがあった。
「お前さんはかたき討かえ。」
座頭はいつもの通りにさびしく笑って頭《かぶり》をふった。その問題もそれぎりで消えてしまった。
平助じいさんが彼を引取ったのは、盲人に対する同情から出発していたには相違なかったが、そのほかに幾分かの好奇心も忍んでいたので、彼は同宿者の行動に対してひそかに注意の眼をそそいでいたが、別に変ったこともないようであった。座頭は朝から夕まで渡し場へ出て、倦《う》まず怠らずに野村彦右衛門の名を呼びつづけていた。
平助は毎晩一合の寝酒で正体もなく寝入ってしまうので、夜半《よなか》のことはちっとも知らなかったが、ある夜ふけにふと眼をさますと、座頭は消えかかっている炉の火をたよりに、何か太い針のようなものを一心に磨《と》いでいるようであったが、人一倍に勘《かん》のいいらしい彼は、平助が身動きしたのを早くも覚って、たちまちにその針のようなものを押隠した。
その様子がただならないようにみえたので、平助は素知らぬ顔をして再び眠ってしまったが、その夜半にかの盲人がそっと這い起きて来て、自分の寝ている上に乗りかかって、かの針のようなものを左の眼に突き透すとみて、夢が醒めた。そのうなされる声に座頭も眼をさまして、探りながらに介抱してくれた。平助はその夢についてなんにも語らなかったが、その以来なんとなくかの座頭が怖ろしくなって来た。
彼はなんのために針のようなものを持っているのか、盲人の商売道具であるといえばそれまでであるが、あれほどに太い針を隠し持っているのは少しく不似合いのことである。あるいは偽盲《にせめくら》で実は盗賊のたぐいではないかなどと平助は疑った。いずれにしても彼を同宿させるのを平助は薄気味悪く思うようになったが、自分の方から勧めて引入れた以上、今更それを追出すわけにもいかないので、まずそのままにしておくと、ある秋の宵である。
この日は昼から薄寒い雨がふりつづいて、渡しを越える人も少なかったが、暮れてはまったく人通りも絶えた。河原には水が増したらしく、そこらの石を打つ音が例よりも凄まじく響いた。小屋の前の川柳に降りそそぐ雨の音も寂しくきこえて、馴れている平助もおのずと佗しい思いを誘い出されるような夜であった。肌寒いので炉の火を強く焚いて、平助は宵から例の一合の酒をちびりちびりと飲みはじめると、ふだんから下戸だといっている座頭は黙って炉の前に坐っていた。
「あ。」
座頭はやがて口のうちで言った。それに驚かされて、平助も思わず顔をあげると、小屋の外には何かぴちゃぴちゃいう音が雨のなかにきこえた。
「何かな。魚かな。」と、座頭は言った。
「そうだ。魚だ。」と、平助は起《た》ちあがった。「この雨で水が殖えたので、なにか大きい奴が跳ねあがったと見えるぞ。」
平助はそこにかけてある蓑《みの》を引っかけて、小さい掬《すく》い網を持って小屋を出ると、外には風まじりの雨が暗く降りしきっているので、いつもほどの水明かりも見えなかったが、その薄暗い岸の上に一|尾《ぴき》の大きい魚の跳ねまわっているのが、おぼろげにうかがわれた。
「ああ、鱸《すずき》だ。こいつは大きいぞ。」
鱸は強い魚であることを知っているので、平助も用心して抑えにかかったが、魚は予想以上に大きく、どうしても三尺を越えているらしいので、小さい網では所詮《しょせん》掬うことは出来そうもなかった。うっかりすると網を破られるおそれがあるので、彼は網を投げすててその魚をだこうとすると、魚は尾鰭を振って自分の敵を力強く跳ね飛ばしたので、平助は湿《ぬ》れている草にすべって倒れた。
その物音を聞きつけて座頭も表へ出て来たが、盲目の彼は暗いなかを恐れるはずはなかった。彼は魚の跳ねる音をたよりに探り寄ったかと思うと、難なくそれを取抑えてしまったので、盲人として余りに手際《てぎわ》がよいと、平助はすこし不思議に思いながら、ともかくも大きい魚を小屋の内へかかえ込むと、それは果して鱸であった。鱸の眼には右から左へかけて太い針が突き透されているのを見たときに、平助は何とはなしにぞっとした。魚は半死半生に弱っていた。
「針は魚の眼に刺さっていますか。」と、座頭は訊いた。
「刺さっているよ。」と、平助は答えた。
「刺さりましたか、確かに、眼玉のまん中に……。」
見えない眼をむき出すようにして、座頭はにやりと笑ったので、平助はまたぞっとした。
二
盲人は勘《かん》のよいものである。そのなかでもこの座頭は非常に勘のよいらしいことを平助もかねて承知していたが、今夜の手際《て
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