、その後にもいろいろの人が来て撮影しました。東京からも三、四人来ました。土地でも本職の写真師は勿論、我れわれのアマチュアが続々押掛けて行って、たびたび撮影を試みましたが、めったに成功しません。それでは全然駄目かというと、十人に一人ぐらいは成功して、確かに馬と少年の姿が浮いてみえるのです。」
「なるほど不思議ですね。」と、わたしも溜息をつきました。「そうして、あなたは成功しましたか。」
「いや、それが残念ながら不成功です。六、七回も行ってみましたが、いつも失敗を繰返すので、わたくしはもう諦めているのですが、あなたのお出でになったのは幸いです。あしたは是非お供しましょう。」
「はあ、ぜひ御案内をねがいましょう。」
わたしの好奇心はいよいよ募って来ました。もう一つには、十人に一人ぐらいしか成功しないという不思議の写真を、見ごと自分のカメラに収めてみせようという一種の誇りも加わって、わたしはあしたの来るのを待ちこがれていました。
三
あくる朝は幸いに晴れていたので、わたしは早朝から支度をして、横田君と一緒に出ました。横田君も写真機携帯で、ほかに店の小僧ひとりを連れてゆきました。池の近所に飯を食わせるような家はないというので、弁当やビールなどをバスケットに入れて、それを小僧に持たせたのです。
三里ほどは乗合馬車にゆられて行って、それからは畑道や森や岡を越えて、やはり三里ほども徒歩でゆくと、だんだんに山に近いところへ出ました。横田君や小僧は土地の人ですから、このくらいの途は平気です。わたしも旅行慣れているので、別に驚きもしませんでした。小僧は昌吉といって、ことし十六だそうです。年の割には柄の大きい、見るから丈夫そうな、そうしてなかなか利口そうな少年でした。したがって、若主人の横田君にも可愛がられているらしく、横田君がどこへか出る時には、いつも彼を供に連れてゆくということでした。
「この昌吉も、ゆうべお話をした木像のモデルと同じような身の上なのです。」と、横田君はあるきながら話しました。「これも両親は判らないのです。」
昌吉という少年も、やはり捨て子で、両親も身もとも判らない。それを横田君の家で引取って、三つの年から育ててやったのだということでした。それを聴かされて、わたしもかの捨松という馬飼のむかし話を思い出して、きょうの写真旅行に彼を連れてゆくのも、なんだか一種の因縁があるように感じられましたが、昌吉はまったく利口な人間で、途中でも油断なく我れわれの世話をしてくれました。
午《ひる》に近い頃に目的地へゆき着きましたが、横田君の話で想像していたのとは余ほど違っていて、なるほど大木もありますが、昼でも薄暗いというような幽暗な場所ではなく、むしろ見晴らしのいい、明るい気分のところでした。
「また伐ったな。」と、横田君はひとりごとのように言いました。近来しきりにこの辺の樹木を伐り出すので、だんだんに周囲が明るくなって、むかしの神秘的な気分が著しく薄れて来たとのことでした。どこでも同じことで、これはやむを得ないでしょう。しかし龍神の社の跡だというところは、人よりも高い雑草にうずめられて、容易に踏み込めそうもありませんでした。
三人は池のほとりの大樹の下に一と休みして、それから昌吉が尽力して午飯《ひるめし》の支度にかかりました。横田君はいろいろの準備をして来たとみえて、バスケットの中から湯沸《ゆわか》しを取出して、ここで湯を沸かして茶をこしらえるというわけです。朝から晴れた大空は藍色に高く澄んで、そよとの風もありません。梢の大きい枯葉が時どきに音もなしに落ちるばかりで、池の水は静かに淀んでいます。岸の一部には芦や芒が繁っているが、ほかに水草らしいものも見えず、どちらかといえば清らかな池です。これがいろいろの伝説を蔵している龍馬の池であるかと思うと、わたしは軽い失望を感じて、なんだか横田君にあざむかれているようにも思われました。
「水を汲んで来ます。」
こう言って、昌吉は湯沸しを提げて行きました。池の北にある桜の大樹の下に清水の湧く所がある。その水がこの池に落ちるのだそうで、夏でも氷のように冷たいと、横田君は説明していました。
「さあ、茶の出来るあいだに、仕事をはじめますかな。」
横田君は写真機を取出しました。わたしも機械を取出して、ふたりはいろいろの位置から四、五枚写しましたが、昌吉はなかなか帰って来ません。
「あいつ、何をしているのかな。」
横田君は大きい声で彼の名を呼びましたが、返事がない。そのうちに気がつくと、かの湯沸しはバスケットの傍においてあって、中には綺麗な水が入れてありました。我れわれが写真に夢中になっているあいだに、昌吉はもう水を汲んで来たらしいのですが、さてその本人の姿が見えない。いつまで待ってもい
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