手もまっ二つに裂けて死んだ。どういう料簡で、おれが股引を引裂いたのか、自分にもわからない。たぶん死んだ親父がそうしろと教えてくれたのだろう。家へ帰ってその話をすると、おふくろは喜びもし嘆きもした。一生に一度という約束を果してしまったから、お父《とっ》さんも二度とおまえを救っては下さるまい。これからはそのつもりで用心しろと言った。その当座はそれほどにも思わなかったが、このごろはそれが思い出されて、なんだか馬鹿に気が弱くなってならない。なに、おれ一人ならばどうにでもなるが、お前のことを考えると、うかうかしてはいられない。」
 何につけても自分を思ってくれる夫の親切を、お年は身にしみて嬉しく感じた。

     三

 ふたりが同棲してから四度目の夏が来た。ことしは隣り村に大きいうわばみが出て、田畑をあらし廻るので、男も女もみな恐れをなして、野良《のら》仕事に出る者もなくなった。このままにしておいては田畑に草が生えるばかりであるから、なんとかしてうわばみ退治の方法をめぐらさなければならないと、村じゅうがあつまって相談の末に、かの蛇吉を頼んで来ることになった。首尾よく退治すれば金一両に米三俵を付けてくれるというのであったが、その相談を蛇吉は断った。
 隣り村ではよくよく困ったとみえて、さらに庄屋のところへ頼んで来て、お前さんから何とか蛇吉を説得してもらいたいと言い込んだ。隣り村の難儀を庄屋も気の毒に思って、あらためて自分から蛇吉に言い聞かせると、彼はやはり断った。今度の仕事はどうも気乗りがしないから勘弁してくれと言ったが、庄屋はそれを許さなかった。
「おまえも商売ではないか。金一両に米三俵をくれるという仕事をなぜ断る。第一に隣り同士の好誼《よしみ》ということもある。五年前、こっちの村に水の出た時には、隣り村の者が来て加勢してくれたことをお前も知っているはずだ。言わばお互いのことだから、むこうの難儀をこっちがただ見物していては義理が立たない。誰にでも出来ることならば他の者をやるが、こればかりはお前でなければならないから、わたしもこうして頼むのだ。どうぞ頼まれて行ってくれ。」
 こう言われると、蛇吉もあくまで強情を張っているわけにもいかなくなった。彼はとうとう無理往生に承知させられることになったが、家へ帰っても何だか沈み勝であった。あくる朝、身支度をして出てゆく時にも、なみだを含んで妻に別れた。
 隣り村ではよろこんで彼を迎えた。彼は庄屋の家へ案内されていろいろの馳走になった上で、いつもの通り、うわばみ退治の用意に取りかかったが、彼がこの村へ足を踏み込んでから、かのうわばみは一度もその姿をみせなくなった。蛇吉の来たのを知って、さすがのうわばみも遠く隠れたのではあるまいかなどと言う者もあったが、相手が姿をみせない以上、それを釣り出すよりほかはないので、蛇吉は蛇の出そうな場所を見立てて、そこに例のおとし穴をこしらえて、例の秘密の一薬を焼いた。しかもそれは何の効もなかった。小蛇一匹すらもその穴には墜ちなかった。
 折角来たものであるから、もう少し辛抱してくれと引留められて、蛇吉はここに幾日かを暮らしたが、うわばみは遂にその姿をあらわさなかった。おとし穴にもかからなかった。
「あまり遅くなると、家の方でも案じましょうから、わたしはもう帰ります。」と、彼は十一日目の朝になって、どうしても帰ると言い出した。
 相手の方でもいつまで引留めておくわけにはいかないので、それではまたあらためてお願い申すということになって、村方から彼に二歩の礼金をくれた。うわばみ退治に成功しなかったが、ともかくも彼がここへ来てから、その姿を見せなくなったのは事実である。殊に十日以上の暇をつぶさせては、このまま空手《からて》で帰すことも出来ないので、その礼心にそれだけの金を贈ったのである。
「なんの役にも立たないでお気の毒ですが、折角のお志だから頂きます。」
 彼はその金を貰って出ようとする時、村の者の一人があわただしく駈けて来て、山つづきの藪ぎわに大きいうわばみが姿をあらわしたと注進したので、一同はにわかに色めいた。
「もう一と足で吉さんを帰してしまうところであった。さあ、どうぞ頼みます。」
 もともとそれがため来たのであるから、蛇吉も猶予することは出来なかった。彼はすぐに身ごしらえをして、案内者と一緒にその場へ駈けつけると、果して大蛇は藪から半身をあらわして眠ったように腹這っていた。
 蛇吉は用意の粉薬を取出して、川という字を横にしたような三本の線を地上に描いた。彼は第一線を前にして突っ立ちながら、なにか大きな叫び声をあげると、今まで眠っていたようなうわばみは眼をひからせて頭をあげた。と思うと、たちまちに火焔《ほのお》のような舌を吐きながら、蛇吉の方へ向ってざらざらと走りか
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