自分にもその時の心持はよく判らないと、父は後になって話しました。
とにかくそういう訳で、わたくし共の一家が多年住みなれた吉原の廓を立退きましたのは明治六年の四月、新しい暦では花見月の中頃でございました。今度引移りましたのは今戸の小さい家で、間かずは四間《よま》のほかに四畳半の離《はなれ》屋がありまして、そこの庭先からは、隅田川がひと目に見渡されます。父はこの四量半に閉じこもって、宗匠の机を据えることになりました。
二
それから小《こ》ひと月ばかりは何かごたごたしていましたが、それがようよう落着くと五月のなかばで、新暦でも日中はよほど夏らしくなってまいりました。
父は今まで世間の附合いを広くしていたせいでございましょう、今戸へ引移りましてからも尋ねて来る人がたくさんあります。俳諧のお友だちも大勢みえます。吉原を立退いたらばさぞ寂しいことだろうと、わたくしも子供心に悲しく思っていたのですが、そういうわけで人出入りもなかなか多く、思ったほどには寂しいこともないので、母もわたくしも内々よろこんでおりますうちに、こんな事件が出来《しゅったい》したのでございます。
前にも申した通り、今度の家は四間で、玄関の寄付きが三畳、女中部屋が四畳半、茶の間が六畳、座敷が八畳という間取りでございまして、その八畳の間に両親とわたくしが一緒に寝ることになっていました。そこへ一人の泊り客が出来ましたので、まさかに玄関へ寝かすわけにもいかず、茶の間へも寝かされず、父が机を控えている離れの四畳半が夜は明いているので、そこへ泊めることにしたのでございます。
その泊り客は四谷の井田さんという質屋の息子で、これも俳諧に凝《こ》っている人なので、夕方からたずねて来て、好きな話に夜がふける。おまけに雨が強く降って来る。唯今とちがって、電車も自動車もない時代でございますから、今戸から四谷まで帰るのは大変だというので、こちらでもお泊りなさいと言い、井田さんの方でも泊めてもらおうということになったのです。
女中に案内されて、井田さんは離れの四畳半に寝る。わたくし共はいつもの通りに八畳に寝る。女中ふたりは台所のとなりの四畳半に寝る。雨には風がまじって来たとみえて、雨戸をゆするような音も聞えます。場所が今戸の河岸《かし》ですから、隅田川の水がざぶんざぶんと岸を打つ音が枕に近くひびきます。なんだか
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