い。まさかに桜田浪士の追悼会を催すわけでもあるまい。そんなことを考えているうちに、いい塩梅《あんばい》に雪も小降りになって来たらしいので、わたしは思い切って出かけることにした。
 午後四時頃からそろそろと出る支度をはじめると、あいにくに雪はまたはげしく降り出して来た。その景色を見てわたしはまた躊躇したが、ええ構わずにゆけと度胸を据えて、とうとう真っ白な道を踏んで出た。小石川の竹早町で電車にわかれて、藤坂を降りる、切支丹坂をのぼる、この雪の日にはかなりに難儀な道中をつづけて、ともかくも青蛙堂まで無事にたどり着くと、もう七、八人の先客があつまっていた。
「それでも皆んな偉《えら》いよ。この天気にこの場所じゃあ、せいぜい五、六人だろうと思っていたところが、もう七、八人も来ている。まだ四、五人は来るらしい。どうも案外の盛会になったよ。」と、青蛙堂主人は、ひどく嬉しそうな顔をして私を迎えた。
 二階へ案内されて、十畳と八畳をぶちぬきの座敷へ通されて、さて先客の人々を見わたすと、そのなかの三人ほどを除いては、みな私の見識らない人たちばかりであった。学者らしい人もある。実業家らしい人もある。切髪の上品なお婆さんもいた。そうかと思うと、まだ若い学生のような人もある。なんだか得体《えたい》のわからない会合であると思いながら、まずひと通りの挨拶をして座に着いて、顔なじみの人たちと二つ三つ世間話などをしているうちに、私のあとからまた二、三人の客が来た。そのひとりは識っている人であったが、ほかの二人はどこの何という人だか判らなかった。
 やがて主人から、この天気にようこそというような挨拶があって、それから一座の人々を順々に紹介した。それが済んで、酒が出る、料理の膳が出る。雪はすこし衰えたが、それでも休みなしに白い影を飛ばしているのが、二階の硝子戸越しにうかがわれた。あまりに酒を好む人がないとみえて酒宴は案外に早く片付いて、さらに下座敷の広間へ案内されて、煙草をすって、あついレモン茶をすすって、しばらく休息していると、主人は勿体らしく咳《しわぶ》きして一同に声をかけた。
「実はこのような晩にわざわざお越しを願いましたのは外《ほか》でもございません。近頃わたくしは俳句以外、怪談に興味を持ちまして、ひそかに研究しております。就きましては一夕《いっせき》怪談会を催しまして、皆さまの御高話を是非拝聴
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