《みはる》には大きい馬市が立っていたくらいですから、黒太夫の家にもたくさんの馬が飼ってありました。それからまた、龍の池のほとりには一つの古い社《やしろ》がありました。いつの頃に建てられたものか知りませんが、よほど古い社であったそうで、土地の者は龍神の社とも水神の社とも呼んでいましたが、その社の前に木馬《もくば》が立っていました。普通ならば御神馬《ごしんめ》と唱えて、ほんとうの生きた馬を飼っておくのですが、ここのはほんとうの馬と同じ大きさの木馬で、いつの昔に誰が作ったのか知りませんが、その彫刻は実に巧妙なもので、ほとんど生きているかと思われるほどであったそうです。したがって、この木馬が時どきに池の水を飲みに出るとか、正月元日には三度いななくとか、いろいろの噂が伝えられて、土地の者はそれを信じていたのです。
 ところがその木馬がある時どこへか姿を隠してしまった。前の伝説がありますから、おそらくどこへか出て行って、再び戻って来るものと思っていると、それが三月たっても半年たっても再び姿をみせない。元来が小さい社で神官も別当もいるわけではないのですから、馬がどうして見えなくなったか、その事情は勿論わからない。まさか盗まれたわけでもあるまい。盗んだところでどうにもなりそうもない。霊ある木馬はこの池の底へ沈んでしまったのではあるまいか、という説が多数を占めて、まずそのままになっていると、その年の秋には暴風雨があって、池の水が溢れ出して近村がことごとく水にひたされる。そのほかにも悪い病いが流行《はや》る。かの木馬の紛失以来、いろいろの災厄がつづくので、土地の者も不安に襲われました。
 とりわけて心配したのはかの黒太夫で、なにぶんにも所有の土地も広く、家族も多いのですから、なにかの災厄のおこるたびに、その被害が最も大きい。そこで村の者どもとも相談して、黒太夫の一手でかの木馬を新しく作って、龍神の社前に供えるということになりました。しかしその頃の奥州にはとてもそれだけの彫刻師はいない。もちろん平泉《ひらいずみ》には相当の仏師もいたのですが、今までのが優れた作であるだけに、それに劣らないような腕前の職人を物色するということになると、なかなか適当の人間が見あたらない。
 これには黒太夫も困っていると、ある晩にひとりの山伏が来て一夜のやどりを求めたので、黒太夫もこころよく泊めてやる。そうして
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