いずれにしても、御新造はその本望通りコレラになってしまったのでございます。浅草の偉い行者というのはどんな人か、またどんなお祈りをするのか知りませんが、御新造はその行者に秘密のお祷りでも頼んで、自分の死ぬときには相手の女も一緒に連れて行くことが出来るという事を信じていたらしいのです。
 それで、あらかじめ黄いろい紙を二枚用意しておいて、いざというときには、一枚を柳橋のこうこういう家の門《かど》に貼ってくれと頼むことにしたのであろうと思われます。御新造に呪われたのか、それとも自然の暗合か、とにかくその芸妓も同日にコレラに罹ったのは事実で、やはりその夜なかに死んだそうでございます。
 お元というばあやは御新造の遺言《ゆいごん》で、その着物から持物全部を貰って国へ帰りました。このばあやは柳橋時代から御新造に仕えていた忠義者で、生れは相模《さがみ》の方だとか聞きました。お仲はお元からいくらかの形見《かたみ》を分けてもらって、またどこへか奉公に出たようでした。残っている地面と家作は御新造の弟にゆずられることになりましたが、この弟は本所辺で馬具屋をしている男で、評判の道楽者であったそうですから、半年と経たないうちに、その地面も家作もみな人手にゆずり渡してしまいました。
 そうなると、世間では碌なことは言いません。あすこの家は、飯田の御新造の幽霊が出るの何のと取留めもないことを言い触らす者がございます。しかしその後に引移って来た藤岡さんという方の奥さんが、五年目の明治二十四年にインフルエンザでなくなり、またそのあとへ来た陸軍中佐の方が明治二十七年の日清戦争で戦死し、その次に来た松沢という人が株の失敗で自殺したのは事実でございます。
 わたくしも二十年ほど前にそこを立退きましたので、その後のことは存じません。近年はあの辺がめっきり開けましたので、飯田さんの家というのも今はどこらになっているのか、まるで見当が付かなくなってしまいました。おそらく竹藪が伐り払われると共に取毀されたのでございましょう。
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   笛塚《ふえづか》

     一

 第十一の男は語る。

 僕は北国の者だが、僕の藩中にこういう怪談が伝えられている。いや、それを話す前に、かの江戸の名奉行根岸肥前守のかいた随筆「耳袋《みみぶくろ》」の一節を紹介したい。
「耳袋」のうちにはこういう話が書いてある
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