(中二は第一の男の襟髪をつかんで引き倒せば、第二の男は袋をかついで逃げようとするを、中二は探りながら追いかけて引き戻す。その間に第一の男も袋をかついで逃げようとするを、中二は又ひき戻す、三人暗闇。そのはずみに、足を踏みはずして瓶の穴に落ちるもあり、片寄せたる卓や榻につまずいてがらがらと倒すもある。この物音に、李も寝まき姿にて寝室より出づ。)
李中行 これ、どうした、どうした。
中二 お父さん。賊です……。泥坊です……。
李中行 なに、泥坊だ……。(引返して寝室より銅鑼《どら》を持ち来りて、叫ぶ。)泥坊だ……。泥坊だ……。(銅鑼を打つ。)
(この声を聞きつけて、柳も寝室より窺い出で、おなじく声を揃えて叫ぶ。)
柳 どろぼうだ……。泥坊だ……。みんな来てください。
李中行 どろぼうだ……。泥坊だ……。(むやみに銅鑼を打ちつづける。)
(形勢非なりと見て、第二の男は袋を投げ捨て、窓より表へ飛び出して、下のかたへ逃げ去る。第一の男は逃げ場をうしない、隠し持ったるピストルを取り出して、つづけて二発撃つ。その一発は中二の脇腹に中りて倒れる。男は落ちたる金袋を拾いて逃げようとする時、あやまって瓶の穴に落ちて転ぶ。李は銅鑼を柳に渡し、探り寄って男を押えつける。)
李中行 さあ、泥坊をおさえたぞ。
(中二も這い寄って男をおさえる。男は跳ね起きようとするを二人は必死となって捻じ付ける。柳もむやみに銅鑼を打つ。)
李中行 (叫ぶ。)泥坊だ、泥坊だ……。誰か来てくれ。
柳 (叫ぶ。)どろぼうだ……。泥坊だ……。
(下のかたより高田圭吉、シャツ一枚にてズボンの裾をまくり上げ、跣足《せんそく》にて走り出づ。雨の音。銅鑼の音。夫婦の叫ぶ声。)
高田 泥坊はこっちですか。銅鑼やピストルの音が聞えたようだが……。
李中行 ここですよ、ここですよ。
(高田は窓の破れたるを見て、そこより内へ飛び込む。このとき男はようよう跳ねかえして逃げかかり、出逢いがしらに高田に突きあたる。二人は無言にて格闘。高田は遂に男を組み伏せる。)
高田 早く燈火《あかり》をみせて下さい。
(李はすぐに寝室へ引返してゆく。柳もつづいて入る。男は跳ね返そうとするを、高田はおさえている。中二は倒れたままで唸っている。やがて李は蝋燭をとぼして出づ。)
李中行 つかまえましたか。
高田 つかまえました。早く縄を下さい。
(李は土間の隅から縄を持ち来り、高田に手伝いて男を縛りあげる。下のかたより會徳を先に、近所の男三人出づ。)
會徳 (窓から覗く。)もし、泥坊が這入ったかな。
李中行 むむ、この通りだ。
(會徳等も窓から飛び込む。柳もランプをとぼして出で、室内は明るくなる。)
會徳 どろばうは這奴ひとりか。
李中行 もう一人いたらしいが、先へ逃げてしまったのだ。
高田 此頃はここらへも馬賊が入り込んで来たというから、こいつ等もその同類かも知れませんよ。
柳 (中二をみつけて叫ぶ。)もし、おまえさん。中二が倒れていますよ。
李中行 なに、中二が……。
(人々も中二に眼をあつめる。)
男甲 なるほど、中二さんが倒れている。
男乙 もしや怪我でもしたのではないか。
男丙 なんだか苦しそうに唸っているようだぞ。
李中行 (中二をかかえ起す。)これ、どうした、どうした。
中二 (唸る。)むむ、ピストルで……。
高田 え、ピストルで……。(これも進みよって抱えあげる。)して、どこを撃たれたんです。
中二 脇腹を……。
高田 それはいけない。(會徳等に。)誰か早く町へ行って、医者を呼んで来てくれませんか。僕の工場のすぐ傍に病院がありますから……。いや、君達じゃあ判らないかも知れない。僕が行って来よう。
(高田は立ちかかれば、中二はズボンをつかむ。)
中二 まあ、待ってくれ給え……。待ってください。僕は……私はもう助からないかも知れない。
高田 なに、ピストルの弾《たま》の一つぐらい……気の弱いことを云っちゃいけない。大丈夫……大丈夫だ。
中二 それにしても……ちょっと待って……。実は私は……傷害保険を付けています。三千円……。
高田 傷害保険……三千円……。
中二 親父はまだ知りますまいが、その保険の受取人は親父の名前になっているのです。万一わたしがこのまま死んでしまった暁には……あなたが万事の手続きをして……その三千円をうけ取って……おやじの手へ渡して遣ってください。お願いです。
高田 判りました、判りました。承知しました。
中二 それから貯蓄銀行に……わたしは二百円ほどの金を預けてあります。それも一緒に受取って遣って下さい。(云いかけて弱る。)
高田 (耳に口をよせて。)承知しました。保険が三千円、貯蓄銀行の預金が二百円……。もうそれぎりですか。
中二 それぎりです、それぎりです。……どうぞ宜しく願います。願います……。(云いかけていよいよ弱る。)
高田 これ、しっかりして、しっかりして……。
李中行 これ、中二……中二……。
柳 (泣く。)しっかりしてお呉れよ。
(この隙をみて、第一の男は縛られたるままに突然立上って逃げようとするを、會徳等が走りかかって押え付ける。)
會徳 こいつ、油断のならない奴だ。
男甲 早く警察へ引渡して仕舞おうではないか。
男乙丙 それがいい、それが好い。
高田 途中で逃がさないように気をつけて下さいよ。
會徳 なに、こっちは四人だから大丈夫だ。さあ、行け、行け。
(會徳は男の縄を取り、甲乙丙も付き添いて、入口の扉をあけて下の方へ去る。中二は父と母とに抱かれながら瞑目する。)
高田 (のぞく。)もういけませんか。
柳 いけないようですよ。
高田 (呼ぶ。)中二君……中二君……。(嘆息しながら頭を掉《ふ》る。)ああ、もういけない。残念だなあ。
李中行 娘が死んで、まだ半月経つか経たないのに、せがれが又こんなことになるとは……。私はよっぽど祟られているのだ。(気がついたように。)もし、高田さん。中二は保険を付けていたそうですね。
高田 こういう事になるのを予期していたわけでも無いでしょうが、中二君はなぜか傷害保険を付けていたそうで、その保険額は三千円だと云うことです。
李中行 三千円……。
高田 ほかに二百円の貯蓄があるそうです。
李中行 そうすると、両方あわせて三千二百円か。
柳 娘が死んだときに貰ったのも三千二百円だったね。
李中行 (叫ぶ。)そうだ、そうだ。今度もやっぱり四千両だ、四千両だ……。
高田 (唸るように。)むむ、四千両……。第二の犠牲だ。
李中行 妹が四千両……。兄が四千両……。八千両でとうとう子供ふたりの命を売ってしまったのだ。ああ、何ということだ。
(李は自分のあたまを掻きむしりながら、狂うように室内をあるき廻ると土間に落ちたるピストルにつまずき、拾い取ってランプの灯に照らして見る。)
高田 (のぞく。)ピストルですね。今の馬賊が落して行ったんでしょう。(李の手より受取って見る。)連発銃で、まだ弾《たま》が篭めてあるらしい。これは証拠物だから保管して置かなければなりません。(卓の上に置く。)
(柳は中二の死骸をかかえて泣いている。ランプのひかり薄暗くなる。土間の隅に三足の青蛙あらわれて、青き光を放つ。李はそれを見つけて又もや狂うように叫ぶ。)
李中行 (指さしながら。)あ、又来た、又来た……。
高田 え。(みかえる。)おお、蝦蟆だ、蝦蟆だ。
李中行 ゆうべ捨てて来たのに、又いつの間にか帰って来て、今度は中二の命を取ったのか。(罵る。)畜生……畜生……。貴様のおかげで、大事の息子も娘もみんな殺されてしまったのだ。金なんぞは要らないから返してやるぞ。(そこらに落ちたる金貨や銀貨をつかんで、青蛙に叩き付ける。)さあ、息子をかえせ、娘を返せ。
(李は哮《たけ》り狂って、手あたり次第に金貨や銀貨をなげ付け、更に卓の上のピストルを把れば、高田は見かねて支える。)
高田 まあ、お待ちなさい。
柳 (おなじく支える。)そんなことをして、又どんな祟りがあるかも知れないから、およしなさいよ。
李中行 ええ、祟るならどんなにでも祟ってみろ、もう斯《こ》うなったら息子のかたきだ、娘のかたきだ。畜生、唯は置くものか。
(李はピストルを把って進もうとするを、高田と柳は支える。李は振放そうと争うはずみに、ピストルの曳金は外れて、我手でわが胸を撃ちて倒れかかる。)
高田 (李をかかえながら。)もし、どうしました……。どうしました。
柳 お前さん……。どうしたのよ。
(李は二人に介抱されながら土間に倒れて、持っているピストルを取落す。ランプは明るくなりて、青蛙は光の消えたるままに残っている。薄く雨の音。入口の扉を叩く音。高田は気がついて見返る。)
高田 あ、誰か又来たようだ。
(高田は行きかかれば、柳は恐るるように引き留めて、行くなというに、高田はすこしく躊躇する。再び扉をたたく音。高田は又行きかかるを、柳は又ひき留める。暫時の沈黙。三たび扉を叩く音。)
高田 だれか村の人が来たんでしょう。それとも警察の人か。(柳を押退けて。)なに、大丈夫。怖いことはありませんよ。
(高田は思い切って行きかかれば、柳は土間に落ちたるピストルを拾い取って渡す。高田はピストルを手に持ちて扉をあけると、第一幕の旅の男、小さい革の箱をかかえ、片手に竹笠を持ちて入り来る。)
柳 (すかし見て。)あ、おまえさんは……。あの人だ、あの人だ……。
旅の男 はい、十五夜の晩に来た旅の者です。
高田 では、青蛙神の蝦蟆を持ち歩いている人か。
旅の男 そうです。(土間の青蛙に眼をつける。)おお、やっぱりここにいましたか。私はこれを探しに来たのです。(男は土間にひざまずいて呪文を唱え、やがて箱の蓋を開けば、青蛙は跳って箱に入る。男は箱をかかえて立つ。)
旅の男 これで私も安心しました。どなたも御免ください。(男は瓢然として表へ出てゆく。高田と柳は魅せられたように無言にて見送る。)
李中行 青蛙神……青蛙神……。
(李は唸りながら起きようとして又倒れる。高田と柳は心づいて介抱する。雨の音。)
[#地から1字上げ]――完結――

[#地付き](「舞台」昭和六年七月号〜八月号掲載/未上演)



底本:「伝奇ノ匣2 岡本綺堂妖術伝奇集」学研M文庫、学習研究社
   2002(平成14)年3月29日初版発行
初出:「舞台」
   1931(昭和6)年7月〜8月号
入力:川山隆
校正:門田裕志
2008年12月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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