事」「湯島女殺しの事」などというような、その当時の三面記事をも発見した。それに興味を誘われて、さらに読みつづけてゆくと、「稲城《いなぎ》家の怪事」という標題の記事を又見付けた。
それにはこういう奇怪の事実が記《しる》されてあった。
原文には単に今年の七月初めと書いてあるが、その年の二月、行徳《ぎょうとく》の浜に鯨が流れ寄ったという記事から想像すると、それは享保十九年の出来事であるらしい。日も暮れ六つに近い頃に、ひとりの中間体《ちゅうげんてい》の若い男が風呂敷づつみを抱えて、下谷《したや》御徒町《おかちまち》辺を通りかかった。そこには某藩侯の辻番所《つじばんしょ》がある。これも単に某藩侯とのみ記してあるが、下谷御徒町というからは、おそらく立花家の辻番所であろう。その辻番所の前を通りかかると、番人のひとりが彼《か》の中間に眼をつけて呼びとめた。
「これ、待て。」
由来、武家の辻番所には「生きた親爺《おやじ》の捨て所」と川柳に嘲られるような、半|耄碌《もうろく》の老人の詰めているのが多いのであるが、ここには「筋骨たくましき血気の若侍のみ詰めいたれば、世の人常に恐れをなしけり」と原文に書
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