生きていたのだそうで、雅号を杏雨《きょうう》といって俳句などもやったらしい。その杏雨が何くれとなく書きあつめて置いた一種の随筆がこの七冊で、もともと随筆のことだから何処まで書けばいいということもないだろうが、とにかくまだこれだけでは完結しないとみえて、題号さえも付けてないのだ。維新の際に祖父も大抵のものは売り払ってしまったのだが、これだけはまず残して置いた。勿論、売るといったところで買い手もなく、さりとて紙屑屋へ売るのも何だか惜しいような気がするので、保存するという意味でもなしに自然保存されて、今日まで無事であったというわけだが、古つづらの底に押し込まれたままで誰も読んだ者もなかったのを、さきごろの土用干しの時に、僕が測らず発見したのだ。」
「それでも二足三文で紙屑屋なんぞに売られてしまわなくって好かったね。今日《こんにち》になってみれば頗《すこぶ》る貴重な書き物が維新当時にみんな反古《ほご》にされてしまったからね。」と、わたしはところどころに虫くいのある古写本をながめながら言った。
「なに、それほど貴重な物ではないに決まっているがね。君はそんなものに趣味を持っているようだから、まあ読
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