、その西瓜が再び女の首に見えたのだろう。中間の眼にも勿論そう見えたろう。それも所詮は一時の錯覚で、みんなが落ち着いてよく見ると、元の通りの西瓜になってしまった。詰まりそれだけの事さ。むかしの人はしばしばそんなことに驚かされたのだな。その西瓜をたち割ってみると、青い蛙が出たとか、髪の毛が出たとかいうのは、単に一種のお景物に過ぎないことで、瓜や唐茄子からは蛇の出ることもある。蛙の出ることもある。その時代の本所や柳島辺には蛇も蛙もたくさんに棲んでいたろうじゃないか。丁度そんな暗合があったものだから、いよいよ怪談の色彩が濃厚になったのだね。」
彼は無雑作《むぞうさ》に言い放って、又もや高く笑った。いよいよ小癪に障るとは思いながら、差しあたってそれを言い破るほどの議論を持合せていないので、わたしは残念ながら沈黙するほかはなかった。外はいよいよ日盛りになって来たらしく、油蝉の声がそうぞうしく聞えた。
倉沢はやがて笑いながら言い出した。
「そうは言うものの、僕の家《うち》にも奇妙な伝説があって、西瓜を食わないことになっていたのだ。勿論、この話とは無関係だが……。」
「君は西瓜を食うじゃないか。」
「僕は食うさ。唯ここの家にそういう伝説があるというだけの話だ。」
私は東京で彼と一緒に西瓜を食ったことはしばしばある。しかも彼の家にそんな奇妙な伝説があることは、今までちっとも知らなかったのである。倉沢はそれに就いてこう説明した。
「なんでも二百年も昔の話だそうだが……。ある夏のことで、ここらに畑荒らしがはやったそうだ。断って置くが、それは江戸の全盛時代であるから、僕らの先祖は江戸に住んでいて、別に何のかかり合いがあったわけではない。その頃ここには又左衛門とかいう百姓が住んでいて、相当に大きく暮らしている旧家であったということだ。そこで今も言った通り、畑あらしが無暗にはやるので、又左衛門の家でも雇人らに言いつけて毎晩厳重に警戒させていると、ある暗い晩に西瓜畑へ忍び込んだ奴があるのを見つけたので、大勢が駈け集まって撲り付けた。相手は一人、こっちは大勢だから、無事に取押えて詮議すれば好かったのだが、なにしろ若い者が大勢あつまっていたので、この泥坊めというが否や、鋤《すき》や鍬《くわ》でめちゃめちゃに撲り付けて、とうとう息の根を留めてしまった。主人もそれを聞いて、とんだ事をしたと思ったろうが、今更どうにもならない。殺されたのは男でなく、もう六十以上の婆さんで、乞食のような穢い装《なり》をして、死んでも大きい眼をあいていたそうだが、どこの者だか判らない。その時代のことだから、相手が乞食同様の人間で、しかも畑あらしを働いたのだから、撲り殺しても差したる問題にもならなかったらしく、夜の明けないうちに近所の寺へ投げ込み同様に葬って、まず無事に済んでしまったのだが、その以来、その西瓜畑に婆さんの姿が時々にあらわれるという噂が立った。これは何処にもありそうな怪談で、別に不思議なことでもなかったが、もう一つ『その以来』という事件は、又左衛門の家の者がその畑の西瓜を食うと、みんな何かの病気に罹って死んでしまうのだ。主人の又左衛門が真っ先に死ぬ、つづいて女房が死ぬ、伜が死ぬという始末で、ここの家では娘に婿を取ると同時に、その畑をつぶしてしまった。それでも西瓜が祟《たた》るとみえて、その婿も出先で西瓜を食って死んだので、又左衛門の家は結局西瓜のために亡びてしまうことになったのだ。もちろん一種の神経作用に相違ないが、その後もここに住むものはやはり西瓜に祟られるというのだ。」
「持主が変っても祟られるのか。」
「まあそうなのだ。又左衛門の家はほろびて、他の持主がここに住むようになっても、やはり西瓜を食うと命があぶない。そういうわけで、持主が幾度も変って、僕の一家が明治の初年にここへ移住して来たときには、空家《あきや》同様になっていたということだ。」
「君の家の人たちは西瓜を食わないかね。」と、わたしは一種の興味を以って訊いた。
「祖父は武士で、別に迷信家というのでもなかったらしいが、元来が江戸時代の人間で、あまり果物――その頃の人は水菓子といって、おもに子供の食う物になっていたらしい。そんなわけで、平生から果物を好まなかった関係上、かの伝説は別としても、ほとんど西瓜などは食わなかった。祖母も食わなかった。それが伝説的の迷信と結びついて、僕の父も母も自然に食わないようになった。柿や蜜柑やバナナは食っても、西瓜だけは食わない。平気で食うのは僕ばかりだ。それでもここで食うと、家の者になんだかいやな顔をされるから、ここにいる時はなるべく遠慮しているが、君も知っている通り、東京に出ている時には委細構わずに食ったよ。氷に冷やした西瓜はまったく旨いからね。」
かれはあくまで平気で笑っ
前へ
次へ
全9ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング