ながちに辻番人の粗忽や伊平の臆病とばかりは言われまい。念のためにその西瓜をたち割って見てはどうだな。」
これには八太郎も異存はなかった。然らば試みに割ってみようというので、彼は刀の小柄を突き立ててきりきりと引きまわすと、西瓜は真っ紅な口をあいて、一匹の青い蛙を吐き出した。蛙は跳ねあがる暇もなしに、八太郎の小柄に突き透された。
「こいつの仕業かな。」と、池部は言った。八太郎は西瓜を真っ二つにして、さらにその中を探ってみると、幾すじかの髪の毛が発見された。長い髪は蛙の後足《あとあし》の一本に強くからみ付いて、あたかもかれをつないでいるかのようにも見られた。
髪の毛は女の物であるらしかった。西瓜が醜《みにく》い女の顔にみえたのも、それから何かの糸を引いているのかも知れないと思うと、八太郎ももう笑ってはいられなくなった。お米の顔は蒼くなった。伊平はふるえ出した。
「伊平。すぐに八百屋へ行って、この西瓜の出どころを詮議して来い。」と、主人は命令した。
伊平はすぐに出て行ったが、暫くして帰って来て、主人夫婦と客の前でこういう報告をした。八百屋の説明によると、その西瓜は青物市場から仕入れて来たのではない。柳島《やなぎしま》に近いところに住んでいる小原数馬《おはらかずま》という旗本屋敷から受取ったものである。小原は小普請入《こぶしんい》りの無役といい、屋敷の構えも広いので、裏のあき地一円を畑にしていろいろの野菜を作っているが、それは自分の屋敷内の食料ばかりでなく、一種の内職のようにして近所の商人《あきんど》にも払い下げている。なんといっても殿様の道楽仕事であるから、市場で仕入れて来るよりも割安であるのを幸いに、ずるい商人らはお世辞でごまかして、相場はずれの廉値《やすね》で引取って来るのを例としていた。八百屋の亭主は伊平の話を聴いて顔をしかめた。
「実は小原さまのお屋敷から頂く野菜は、元値も廉し、品も好し、まことに結構なのですが、ときどきにお得意さきからお叱言《こごと》が来るので困ります。現にこのあいだも南瓜《かぼちゃ》から小さい蛇が出たと言ってお得意から叱られましたが、それもやっぱり小原さまから頂いて来たのでした。ところで、今度はお前さんのお屋敷へ納めた西瓜から蛙が出るとは……。尤もあの辺には蛇や蛙がたくさん棲んでいますから、自然その卵子《たまご》がどうかしてはいり込んで南瓜や西瓜のなかで育ったのでしょうな。しかし西瓜が女の生首に見えたなぞは少し念入り過ぎる。伊平さんも真面目そうな顔をしていながら、人を嚇かすのはなかなか巧いね。ははははは。」
八百屋の亭主も西瓜から蛙の飛び出したことだけは信用したらしかったが、それが女の首に見えたことは伊平の冗談と認めて、まったく取合わないのであった、伊平はそれが紛れもない事実であることを主張したが、口下手の彼はとうとう相手に言い負かされて、結局不得要領で引揚げて来たのである。しかし、かの西瓜が小原数馬の畑から生れたことだけは明白になった。同じ屋敷の南瓜から蛇の出たことも判った。しかしその蛇にも女の髪の毛がからんでいたかどうかは、伊平は聞き洩らした。
もうこの上に詮議の仕様もないので、八太郎はその西瓜を細かく切り刻んで、裏手の芥溜《ごみため》に捨てさせた。あくる朝、ためしに芥溜をのぞいて見ると、西瓜は皮ばかり残っていて、紅い身は水のように融《と》けてしまったらしい。青い蛙の死骸も見えなかった。
事件はそれで済んだのであるが、八太郎はまだ何だか気になるので、二、三日過ぎた後、下谷の方角へ出向いたついでに、かの辻番所に立寄って聞きあわせると、番人らは確かにその事実のあったことを認めた。そうして、自分たちは今でも不審に思っていると言った。それにしても、なぜ最初に伊平を怪しんで呼びとめたかと訊くと、唯なんとなくその挙動が不審であったからであると彼等は答えた。江戸馴れない山出しの中間が道に迷ってうろうろしていたので、挙動不審と認められたのも無理はないと八太郎は思った。しかもだんだん話しているうちに、番人のひとりは更にこんなことを洩らした。
「まだそればかりでなく、あの中間のかかえている風呂敷包みから生血《なまち》がしたたっているようにも見えたので、いよいよ不審と認めて詮議いたしたのでござるが、それも拙者の目違いで、近ごろ面目もござらぬ。」
それを聞かされて、八太郎はまた眉をひそめたが、その場はいい加減に挨拶して別れた。その西瓜から蛙や髪の毛のあらわれた事など、彼はいっさい語らなかった。
稲城の屋敷にはその後別に変ったこともなかった。八太郎は家内の者を戒めて、その一件を他言させなかったが、この記事の筆者は或る時かの池部郷助からその話を洩れ聞いて、稲城の主人にそれを問いただすと、八太郎はまったくその通りであ
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