すでに知っているが、他の人々は何にも知らないので、早朝から続々年始に来る。今日と違って、年賀郵便などのない時代であるから、本人または代理の人が直接に回礼に来る。一々それに対して「実は……」と打ち明けなければならない。祝儀と悔みがごっちゃ[#「ごっちゃ」に傍点]になって、来た人も迷惑、こちらも難儀、その応対には実に困った。
 二日の午前十時、青山墓地で葬儀を営むことになった。途中葬列を廃さないのがその当時の習慣であるから、私たちは番町から青山まで徒歩で送って行く。新年早々であるから、碌々《ろくろく》に会葬者もあるまいと予期していたが、それでも近所の人々その他を合わせて五、六十人が送ってくれた。
 旧冬以来、幸いに日和つづきであったが、その日も快晴で、朝からそよ[#「そよ」に傍点]との風も吹かない。前にもいう通り、戦捷の新年である。しかもこの好天気であるから、市中の賑わいはまた格別で、表通りには年始まわりの人々が袖をつらねて往来する。家々の国旗、殊にこの春は新調したのが多いとみえて、旗の色がみな新しく鮮やかであるのも、新年の町を明るく華やかに彩《いろど》っていた。松飾りも例年よりは張り込んだのが多く、緑のアーチに「祝戦捷」などの文字も見えた。
 交通の取締が厳重でないので、往来で紙鳶《たこ》をあげている子供、羽根をついている娘、これも例年よりは威勢よく見える。取りわけて例年より多いのは酔っ払いで、「唐の大将あやまらせ」などと呶鳴って通るのもある。
 青々と晴れた大空の下に、この新年の絵巻が展《ひろ》げられている。その混雑の間を潜《くぐ》りぬけて、私たちは亡き人の柩を送って行くのである。世間の春にくらべて、私たちの春はあまりに寂しかった。私は始終うつむき勝ちで、麹町の大通りを横に切れ、弁慶橋を渡って赤坂へさしかかると、ここは花柳界に近いだけに、春着の芸者が往来している。酔っ払いもまた多い。見るもの、聞くもの、戦捷の新年風景ならざるはない。
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かゝる夜の月も見にけり野辺送り
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 これは俳人去来が中秋名月の夜に、甥の柩を送った時の句である。私も叔父の野辺送りに、かかる新年の風景を見るかと思うと、なんだか足が進まないように思われた。
 ここにまた一つの思い出がある。葬式を終って、会葬者は思い思いに退散する。私たちは少し後れて、新しい
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