でいるのではないらしかった。その顔色から察しると、彼女は僕に対してやや打ち解けてきたらしい。彼女も僕が考えるとおなじように自分の叔父を見ていて、それが僕の話の邪魔になったとすれば――まったく邪魔になるようないろいろの事情があるのである――僕はすこぶる困難の立場にあるもので、それがために言葉が多少粗暴になるのも、挙動が多少調子外れになるのも、まあ恕《じょ》すべきであると考えたであろう。僕もまた、僕の一部的説明の熱情が相当の効果をもたらしたのを知って、ここで猶予なしにわが思うことを打ち明けたほうが、自分のために好都合であろうと考えた。たとい彼女が僕の申し込みを受け入れようが受け入れまいが、彼女と僕との友情関係が前日よりも悪化しようとは思われない。僕が自分の恋を語ったならば、彼女はゆうべの僕がばかばかしく呶鳴ったことなどを忘れてくれそうである。その顔色が大いに僕の勇気を振るい起こさせた。
 僕は自分の椅子を少しく彼女に近寄せた。そのとき彼女のうしろの入り口から幽霊がこの部屋へ突入して来た。もちろん、ドアがあいたわけでもなく、なんの物音をさせたわけでもないが、僕はそれを突入というのほかはなかった。彼は非常に気がたかぶっていて、その頭の上に両腕をふりまわしていた。それを見た一刹那、僕はうんざり[#「うんざり」に傍点]した。出しゃばり者の幽霊めが入り込んで来たので、すべての希望も空《くう》に帰した。あいつがここにいる間は、僕は何も言うことは出来ないのである。
「ご存じですか」と、幽霊は呶鳴った。「ジョン・ヒンクマン氏があすこの丘をのぼって来るのを……。もう十五分間ののちにはここへ帰って来ますぜ。あなたが色女をこしらえるために何かやっているなら、大急ぎでおやりなさい。しかし、私はそんなことを言いに来たのではありません。わたしは素敵|滅法界《めっぽうかい》の報道をもたらして来たのです。私もとうとう移転することになりましたよ。今から四十分ほどにもならない前に、ロシアのある貴族が虚無《きょむ》党に殺されたのですが、誰もまだ彼の死について幽霊の株のことを考えていないのです。わたしの友達が、そこへ私をはめ込んでくれたので、いよいよ移転することが出来たのです。あの大禁物のヒンクマン氏が丘を登って来る前に、わたしはもう立ち去ります。その瞬間から私は大嫌いの贋《まが》い者をやめにして、新しい位地
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