しめて頭の上にあげ、その眼を大きく輝かして、墓場から抜け出してきた幽霊のように狂喜の叫び声をあげた。
「私はもう自由です。わたしは自由です。あなたにお礼を言います!」
彼女は寝台の上に身を投げ出して泣いた。それからまた起《た》ちあがったかと思うと、烈しく部屋のうちをあちらこちら歩きまわって、何か嬉しいような呆《あき》れている様子であったが、やがて呆気《あっけ》にとられている附き添いの者を見返って言った。
「早く、リザ。わたしの外套《がいとう》と頭巾《ずきん》を持ってきておくれ」
彼女はまた低い声で言った。
「早くしておくれ、あのかたの処《ところ》へゆかなければならないから。ゆくなら一緒においでなさい」
間もなく二人は町へ出て、モルドーに架けられた橋にむかって急いだ。月は中空《なかぞら》にさえて、町には人の通りもなかった。姫はすぐに侍女のさきへ駈け抜けて、侍女が橋のたもとまで来たときに、彼女はもう橋の中ほどまで渡っていた。
「あなたは自由におなりになりましたか。鏡はこわしました。自由におなりでしたか」
姫が急いで行く時、彼女のそばでこういう声がきこえたのであった。姫は振り向いて見ると、橋の隅の欄干によりかかって、立派な服装《なり》をしていながら、白い顔をして顫《ふる》えているコスモが立っていた。
「おお、コスモ。わたしは自由になりました。私はいつまでもあなたのものです。私はあなたの処へゆく途中だったのです」
「私もあなたのところへ行く途中でした。死がこれだけのことをさせたのです。私はこの以上どうにも出来なかったのです。私は報われたのでしょうか。私は少しでもあなたを愛することが出来るでしょうか……。ほんとうに……」
「あなたが私を愛していらっしゃることは、わたしにもよく分かりました。それにしても、どうして〈死〉などということをおっしゃるのです」
その答えは聞かれなかった。コスモは手で横腹を強く抑《おさ》えていたが、姫はそれをよく見ると、抑えている彼の指のあいだからおびただしい血がほとばしっていた。彼女は悼《いた》ましさと悲しさが胸いっぱいになって、両手で彼をいだいた。
侍女のリザが駈けつけて来たとき、姫は蒼白い死人の顔の前にひざまずいていた。その死人の顔は妖魔のごとき月光のもとに微笑を浮かべて――
底本:「世界怪談名作集 下」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年9月4日初版発行
2002(平成14)年6月20日新装版初版発行
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:大久保ゆう
2004年9月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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