があるとしても、いかに巧妙なる間者《スパイ》でもその正体を暴露するであろうと思われるほどに、町は非常に混雑して、町の灯は非常に明かるかった。
コスモはつつがなく下宿に帰り着いて、買って来た鏡を壁にかけた。彼は体力の強い男であったが、それでも帰って来たときには、鏡の重さから逃がれて、初めて救われたように感じた。彼はまずパイプに火をつけて、寝台に体をなげ出して、すぐにまた、いつもの幻想にいだかれてしまった。
次の日、かれは常よりも早く家へ帰って、長い部屋の片端にある炉《ろ》の上の壁にかの鏡をかけた。それから丁寧に鏡のおもての塵《ちり》を拭き去ると、鏡は日光にかがやく泉のように清くみえて、覆いをかけた下からも晃《ひか》っていた。しかも彼の興味は、やはり鏡のふちの彫刻にあった。それを出来るだけ綺麗にブラッシュをかけて、その彫刻のいろいろの部分について製作者の意図が那辺《なへん》にあったかを見いだすために、精密な研究を始めたが、それは不成功に終わった。後には退屈になって失望のうちにやめてしまった。そうして、鏡に映る部屋のなかをしばらくぼんやりと眺めていたが、やがて半ば叫ぶような声で言った。
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