、ただ、あいまいな声が喉《のど》から出るばかりでした。
「肯《き》いてくださいますか」と、女は続けて言った。「あなたは私を救ってくださることが出来るのです。わたしは実に苦しんでいるのです、絶えず苦しんでいるのです。ああ、苦しい」
そう言って、女はしずかに椅子に坐って、わたしの顔を見ました。
「肯いてくださいますか」
私はまだはっきりと口がきけないので、黙ってうなずくと、女は亀の甲でこしらえた櫛をわたしに渡して、小声で言いました。
「わたしの髪を梳《す》いてください。どうぞ私の髪を梳いてください。そうすれば、わたしを癒《なお》すことが出来るでしょう。わたしの頭を見てください。どんなに私は苦しいでしょう。わたしの髪を見てください。どんなに髪が損じているでしょう」
女の乱れた髪ははなはだ長く、はなはだ黒く、彼女が腰をかけている椅子を越えて、ほとんど床に触れるほどに長く垂れているように見えました。
わたしはなぜそれをしたか。私はなぜ顫《ふる》えながらその櫛をうけ取って、まるで蛇をつかんだように冷たく感じられる女の髪に自分の手を触れたか。それは自分にも分からないのですが、そのときの冷たい
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