にほっ[#「ほっ」に傍点]とした。彼は眼をあげて、疲労と恐怖とに満ちたどんよりとした眼でじっと部屋じゅうを見廻しながら、一同を見た。――死からよみがえったラザルスが――
 以上は、彼が墓から出て来てから三日目のことであった。もっともそれまでにも、絶えず人を害するような彼の眼の力を感じた人たちもたくさんあったが、しかもまだ彼の眼の力によって永遠に打ち砕かれた人や、あるいはその眼のうちに「死」と同じように「生」に対する神秘的の反抗力を見いだした者はなく、彼の黒いひとみの奥底にじーっと動かずに横たわっている恐怖の原因を説明することも出来なかった。そうして、この三日の間、ラザルスはいかにも穏かな、質朴な顔をして、何事も隠そうなどという考えは毛頭なかったようであったが、その代りに又、何ひとつ言おうというような意思もなかった。彼はまるで人間界とは没交渉な、ほかの生物かと思われるほどに冷やかな顔をしていた。
 多くの迂闊な人たちは往来で彼に近づいても気が付かなかった。そうして、眼も眩《くら》むような立派な着物をきて、触れるばかりにのそりのそりと自分のそばを通って行く冷やかな頑丈な男はいったい誰であろうかと、思わずぞっとした。無論、ラザルスが見ている時でも、太陽はかがやき、噴水は静かな音を立てて湧き出で、頭の上の大空は青々と晴れ渡っているのであるが、こういう呪われた顔かたちの彼に取っては、噴水のささやきも耳には入らず、頭の上の青空も目には見えなかった。ある時は慟哭し、また或る時には我とわが髪を引きむしって気違いのように救いを求めたりしていたが、結局は静かに冷然として死のうという考えが、彼の胸に起こって来た。そこで彼はそれから先きの幾年を諸人の見る前に鬱々と暮らして、あたかも樹木が石だらけの乾枯びた土のなかで静かに枯死するように、生色なく、生気なく、しだいに自分のからだを衰弱させて行った。彼を注視している者のうちには、今度こそは本当に死ぬのではないかと気も狂わんばかりに泣くものもあったが、また一方には平気でいる人もあった。
 話はまた前に戻って、かの客はまだ執拗《しつこ》く繰り返した。
「そんなにあなたは、あの世で見て来たことを私に話したくないのですか。」
 しかしもうその客の声には熱がなく、ラザルスの眼に現われていた恐ろしいほどの灰色の疲れは、彼の顔全体を埃《ほこり》のように掩って
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