はあまりに無慈悲だと思った。結局、あの人力車と私だけが虚無の世界における単一の存在物で、マンネリングやヘザーレッグや、その他わたしが知っているすべての人間こそみんな幽霊であって、空虚な影、まぼろしの人力車以外の大きな灰色の地獄それ自身(この世の人間ども)が私を苦しめているのだ、というような考えに変わっていった。
こうして苛《いら》いらしながら七日の間、いろいろのことを考えながら輾転反側《てんてんはんそく》しているうちに、かえって私の肉体は日増しに丈夫になっていって、寝室の鏡にうつしてみても平常と変わりがなく、ふたたびもとの人間らしくなった。そうして実に不思議なことには、わたしの顔には過去の苦悶争闘の跡が消えてしまった。なるほど、顔色は蒼かったが、ふだんのように無表情な、平凡な顔になった。実際をいうと、私はある永久の変化――私の生命をだんだんに蚕食《さんしょく》していくところの発作から来る肉体的変化を予期していたが、全然そんな変化は見えなかった。
五月十五日の午前十一時に、私はヘザーレッグの家を立ち去って、独身者の本能からすぐに倶楽部へ行った。そこではヘザーレッグが言ったように、誰も
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