、十分間ぐらいも雑談していたに相違なかったが、そのときの私には、その十分間ほどが実に限りもなく長いように思われた。そのうちに、外でわたしを呼んでいるキッティの声がはっきりと聞こえたかと思うと、つづいて彼女が店のなかへはいって来て、わたしが婚約者としての義務をはなはだ怠っているということを婉曲に詰問しようとした。私の目の前には何か得体《えたい》の知れないものがあって、彼女をさえぎってしまった。
「まあ、ジャック」と、キッティは呶鳴った。「何をしていたんです。どうしたんです。あなたはご病気ですか」
 こうなると、嘘を教えられたようなもので、きょうの日光がわたしには少し強過ぎたと答えたが、あいにく今は四月の陰《くも》った日の午後五時近くであった上に、きょうはほとんど日光を見なかったことに気がついたので、なんとかそれを胡麻化《ごまか》そうとしたが、キッティはまっかになって外へ出て行ってしまったので、私はほかの連中の微笑に送られながら、悲観のていで彼女のあとについて出た。私はなんといったか忘れてしまったが、どうも気分が悪いからというようなことで、ふた言三言いいわけをした後、独りでもっと乗り廻ると
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