見ちゅうに、私たちが話し合ったことは、私として話すことは出来ないし、また、あえて話したくもない。ヘザーレッグはこれについて、ただちょっと笑ってから、私が胃と脳と眼とから来る幻想に執着しているのだと批評していた。あの人力車の幻影はものすごいとともに、非常に愛すべき(それはちょっと解釈しにくいが)一つの存在であった。かつては私自身が残酷な目に逢わせた上に、捨て殺しにしてしまったウェッシントン夫人を、私はこの世に生きている間にもう一度口説きたくなってきたが、それは出来ないことであろうか。
 帰りがけに私はキッティにまた逢った。――彼女もまた幽霊の仲間の一人であった。
 もしもこの順序で、次の四日間の出来事をすべて記述しなければならないとしたなら、私のこの物語はいつまでいっても終わるまい。諸君も倦《あ》きてくるであろう。しかしとにかくに、朝といわず、夕といわず、わたしと人力車の幽霊とはいつも一緒にシムラをさまよい歩いた。私のゆく所には、黒と白の法被がつきまとい、ホテルの往復にも私の道連れとなり、劇場へゆけば客を呼んでいる苦力の群れのあいだに彼らがまじっているのである。夜更けまで骨牌《カルタ》をしたのちに、倶楽部の露台《バルコニー》へ出ると、彼らはそこにもいる。誕生日の舞踏会に招かれてゆけば、かれらは根気よく私の出て来るのを待っているばかりでなく、私が誰かを訪問にゆくときには白昼にも現われた。
 そうして、ただその人力車には影がないという以外は、すべての点において木と鉄で出来ている一般の人力車とちっとも変わりがなかった。一度ならず私は、ある乗馬の下手な友達が、その人力車を馬で踏み越えてゆくのを呼び止めようとして、はっ[#「はっ」に傍点]と気がついて口をつぐんだことがあった。また、私は木蔭の路をウェッシントン夫人と話しながら歩いていたので、往来の人たちは呆気《あっけ》に取られていたこともたびたびあった。
 わたしが床を離れて外出が出来るようになった一週間前に、ヘザーレッグの発作説が発狂説に変わっていたのを知った。いずれにもせよ、私は自分の生活様式を変えなかった。私は人を訪問した。馬に乗った。以前と同じような心持ちで食事をした。私は今までかつて感知したことのなかったまぼろしの社会というものに対して渇望《かつぼう》していたので、実生活の間にそれを漁《あさ》ると同時に、わたしの幽霊の
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